葬送の従者達

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  •   第一章  


     長いあいだ見ていた夢から覚めたときのような、唐突な目覚めの訪れにしばし困惑していると、見知らぬ天井を見上げていることに気付いて驚いた。
     どうやらぼくはベッドに横になっていて、今の今までそこで眠っていたらしい。それはいい。問題はここがぼくの自宅の部屋ではないことと、何故ここに寝ていたのかを思い出せないことだった。誰か友人のところにでも泊まったのだろうか――

     だんだん頭が判然としてくる。同時にぼくは不安に駆られ、両手をベッドの硬いマットレスについて身体を起こした。

     ここは――どこだ。
     
     一見すると、ぼくの居るこの部屋は狭いうえにかなり古びていた。
     畳張りの床は誰かが掃除をしているらしく不潔ではないものの、古さのためかところどころにささくれが立っている。天井からはくすんだ色の白熱電球がぶら下がっていて、おそらくスイッチだろう、手の届く位置に紐が垂れているが、試しに引っ張ってみても既にフィラメントが切れているらしく、電球に光は灯らなかった。
     部屋には他の灯りが無いらしく、薄暗い。
     僅かに光が差し込む方へ目を向けると、木製の重厚な扉が半開きになっているのが見えた。
    「――――」
     一瞬、誰かの話し声が聞こえた気がして、息を詰める。
     ぼくはどうするべきか迷ったが、この体勢のままではどうにも無防備だと思い至った。ひとまずこのベッドからは抜け出たほうが良さそうだ。
     上半身に申し訳程度に乗っかっていたぼろぼろのブランケットをはぎ取り、ぼくは畳の上に足をそっと降ろした。
     みしぃ。
     その途端、相当老朽化が進んでいたのか、畳が悲鳴のような凄まじい音を立てた。
    「うわ!」
     ぼくは驚いてバランスを崩し、後ろ向きにベッドに倒れ掛かった。
    「うわああ!」
     しかし何故かベッドはぼくの身体を支えてはくれなかった。どさどさ、という重たい音と共にベッドは崩壊し、ぼくはその中に埋もれてしまう。
    「どうなってんだあ!?」
     完全に取り乱したぼくはあったはずのベッドを振り向く。
     何のことは無い。
     ベッドだと思っていたのはベッドではなかった。
     先程までぼくが身体を横たえていたのはマットレスではなく、抱き枕のようなものが無造作に積み上げられたものだった。ぼくが倒れこんだその勢いで、不安定な堆積物が崩れてしまったのだ。
     ただ、積み上げられていた《それ》からぼくは目を離すことができなかった。
     それは――それはぼくが今まで一度だって目にしたことの無い光景だった。
    「こ、これ……なんだよ……」
     《それ》は部屋の中でも特に暗い隅にあったので、暗順応していた目でもかなり凝らさなければよく見えなかった。
     だからぼくは最初見た《それ》が信じられず、《それ》が別の何かであることを期待して、さらに注意深く観察した。
     だが、見れば見るほど、観察すればするほどに、《それ》が《それ》であるという確信は強まり、ぼくの混乱はますます深まるだけだった。
    「ありえない――こんなこと、ありえない」
     ぼくは耐えられなくなって目を逸らした。
     だって、そうだろう?
     どうしてぼくが《あんなもの》の上に乗っかって寝ていたわけがあるんだ?
     そんな必然性はない。理由はない。ああ、これっぽっちもないさ。
     ぼくが《こんなもの》の中に倒れてしまって、今現在仲良く埋もれているなんて、そんなことは信じられない。
     だけれど。
     さっき最初に振り向いた瞬間、ほんとうは目にしていた。
     ただ、無意識に意識を遠ざけていただけだ。
     《あんなもの》の《それ》が、振り向いたら、文字通り目と鼻の先にあったなんて、どうして許容できる?
     だから、《あれ》は違う。
     違う違う。違うはずだ。
     たとえ嘘でもそう思わなければ。ぼくは耐えられないだろう。
     オーケイ。
     
    「おや――物音がしたから来てみれば。もう、覚醒したんだね」

     誰だ。誰の声だ。
     ぼくは意識をなるべく《それ》から遠ざけつつ、顔を上げて声の聞こえた正面を見た。
    「そうか、そうか。あの《パウダー》は試験段階だったが、それなりに効果があったものと見える。それにしても貴様は中々に運がいいんだよ? こうして命が助かっただけでなく、なんと貴様ら凡百の身に余る栄誉をその身に受けることができるのだからね」
     半開きになっていた扉のところに、背の高い女の人が立っていた。
     扉の外から差し込む逆光で顔がよく見えない。だがそのほっそりとしたシルエットは明らかに女性のものに違いなかった。
     彼女は手に持っていた煙草を咥え、どこからともなくライターを取り出してフリントを擦った。同時にしゅぼっという音がして、先端から頼りなげな火が上がる。彼女はそれを口元の煙草に近づけ、暗がりの中に自分の顔を浮かび上がらせた。
     それはほんの一瞬のことで、火が消えると、輪郭以外の一切が、また見えなくなった。どことなく悲しそうなその表情の理由は、ぼくにはわからなかった。
    「――――」
    「どうした……? ああ、なるほど。なるほどね」
     ぼくが呆然としていると、女の人はなにやら勝手に納得したようなことを言って、しきりにうんうんと頷き始めた。
    「あんまりにも状況が唐突なものだから、貴様はきっと混乱しているんだろうね……。それは貴様のような凡百の輩にとっては無理もないことかもしれないね。我には、貴様の、情けないまでに動揺し切った心持が、手に取るように、よぅくわかるよ。――ああ、だからといって貴様が気に病むことは、ないのだよ? 貴様達《人間》は劣等生物で、対する我ら《血族》は、優等生物なのだからね。上位者は、愚民に慈愛をもって接するを善しとする、と心得る。しからば《血族》の末裔たる我も、凡百たる貴様に優しくしてやるに吝かではない、というものなのだよ」
     なんだかとても失礼な人だった。
     とりあえず、一人称とか二人称のほかにも突っ込みどころがありすぎて、どこに突っ込めばいいのかわからないし、そもそも何を言っているのかもわからない。 
     それに、突っ込みなんてしている場合でないことは確かだった。
     女の人はぷかぁ、と煙草の煙を吐き出して、忘れていたことに気付いたような顔をした。
    「おっと、一番最初にするべきことを忘れていたよ。はじめて会った相手には自己紹介をする――それが社会人の礼儀というものだろうからね。しかし困ったことに、我には、紹介すべき自己がないのだよ。それに、そもそも、我、社会人ではなし、と心得る。と、いうわけで、我は自己紹介の義務を放棄させてもらうよ。
     とはいえ、まあ、名前がないというのは不便だろうからね。そうだね、我のことは――綾音とでも呼んでくれればいいよ」
    「――そんなことはどうでもいいんですよ」
     ぼくはとうとう堪えきれなくなった。女の人――綾音さんの、妙にもってまわった、悠長な話し方のことではない。そんなのは瑣末なことだった。それよりも――この《匂い》をとにかくどうにか、して、ほしかった。
    「あなたの自己紹介とか、ぼくの自己紹介とか、そんなことは重要じゃない。そんなことよりも、ぼくは説明して欲しいんですよ。だってそうでしょう――こんなわけのわからない状況に置かれたら、誰だって、納得の行く説明が欲しくなる。そう思いませんか?」
    「ん?」
     綾音さんは、心底不可思議、みたいな顔をして、
    「……ああ。理解した。なるほどね。そういうわけか」
     勝手に納得した。
    「すまないね……貴様のような《成功例》は、なかなかに久しぶりだったものだから、どうにも、対応が後手になってしまうようだ。痒いところに手が届くアフターケア、みたいなのは期待しないでもらいたいね。しかし、それにしても、考えてみれば分かることではあったけれどね……」
     その時だった。

    「いかがなさいましたか、ドクトル」

     いつの間にか、二人目の女性――否、少女が、戸口に佇んでいた。
     少女の手にしている石油灯が、室内の闇を仄かに照らし出し、二人の姿をはっきりとさせた。
     実は輪郭からもなんとなく察しはついていたのだが、綾音さんは白衣を羽織った姿で、壁に寄りかかるようにして、立っていた。
     白衣、とは言っても、よく科学者が実験中に着ているような、実用的なものではない。むしろファッションとして身につけてもおかしくなさそうな、スタイリッシュなデザインをしていて、すらりとした長身の綾音さんに、とてもよく似合っていた。
     一方、濃紺と白の対比が鮮やかな布地で構成された、恭順と従順を体現するとされる優雅な衣服を身に纏いながら、足音一つ、気配一つすらさせることなく登場したその少女は、着衣を微塵も乱れさせないまま、自分がドクトルと呼んだ相手――綾音さんの足元に、片膝を付き、最敬礼の姿勢をとった。
    「登録ナンバーM66、只今参上仕りましたわ、ドクトル。御用命とあらば、なんなりとお申し付けを」
     どうやら、この少女は綾音さんが呼びつけたものらしい。綾音さんはまた煙を吸い込んで、大きく吐き出した。
    「あのさあ、いつも我、いってるけど、毎回毎回、そんなに畏まらなくっていいから。それに我、識別番号なんて、いちいち覚えてないし。ええと……」
    「柊香ですわ、ドクトル」
    「ああ、トーカね。そうだった、そうだった……」
     名前も覚えてないじゃないか。
     可哀相に……。
     と、部外者のぼくが指摘とか同情とかしている場合ではない。
     というか、訊くべきことが山積しすぎで、どこから切り崩せばいいのか、皆目見当もつかない有様だった。
     けれど――ぼくはついさっき、とても重大なことに気付いてしまったので、それについて質問、というか、協力を仰ぐことにする。
    「あの……ちょっと宜しいでしょうか」
     なぜか敬語になってしまう。まあ、実際、この人たちが《普通》の存在でないのは間違いない。多少はぼくが怖気づいたとしても、そこはご容赦願いたい。そんなところだった。
    「なんでしょう」
     返答したのは綾音さんではなく、フリルを大量にあしらった裾がなんだか動きづらそうな少女のほうだった。ご丁寧にもレースつきのカチューシャが、ボブカットの黒髪にちょこんと装着されている。
     ぼくとしては、どちらと話しても同じことではあったのだけれど、まあ、なんとなく、それはそれで、悪くは無かった。
    「その……ですね。なんといいますか。さっきから、こう、身体が、全然、動かないというか……」
     さっき、平衡感覚を失って転倒してからというもの、何度起き上がろうとしても、起き上がることができないのだった。足腰にまったく力が入らないのだ。
     というより、まったく力が無くなってしまった、というべきかもしれない。身体全体からエネルギーが失われていくような、そんな感覚だった。
     機能は十全だが、ガソリンの抜けたクルマ、という感じ。
     それでも、つい先程までは、両手でなんとか上体を起こそうとしていた。だが、いまやそれを試みることすら絶望的なほど疲弊してしまい、正直なところ、言葉を発することでさえ、重労働になりつつあった。
     少女はしばらくの間、こちらをじっと見つめていた。と、思ったら滑るような動作でするりと近づいてきて、ぼくの前で腰をかがめる。
     そうして、何か奇妙なモノを見る目付きを、ぼくの顔を覗き込みながら、
    「なんですの、ドクトル。……このゴミは」
     彼女は典雅に、侮蔑してきた。
    「…………」
     見た目と言動のあまりの乖離に、ぼくが発すべきコメントを探しえないでいると、
    「トーカ、それはゴミではないんだね。《それ》らはぜんぶ、我の実験体。その成れの果て。とくに、そいつは貴重な《核》だからね。ちょっとくらいは特別なのだよ。そんなに代えのきくものでもないから、大事に扱ってくれると嬉しいね」
    「《核》。――把握、しましたわ」
     メイド服を着込んだ少女は、なにやら気に入らなさそうに眉を顰め、ぼくにだけ聞こえる音量でちっ、と舌打ちした。舌打ちされたぼくとしては、その理由がまったくわからない。けれど、その、あからさまなまでの裏表の切り替えは、なんだか恐ろしかった。
     ものすごく腹黒なメイド。それが、ナンバーM66――柊香――に抱いた、ぼくの第一印象だった。
    「それで、ドクトル。わたくしへの御用命は」
    「うん。それなんだけれど」
     二人はぼくのことを再び無視しつつ、こそこそと当人たちだけでの、会話を始めてしまった。
     思ったけれど、このご時勢にメイドとは。色々な意味で、綾音さん、何者なのだろう。
     そんなどうでもいいことを考えてしまうくらいに、ぼくの危機感は薄まり、意識は減退しているらしかった。大脳から血の気が失せるのを感じることが出来るとは、今の今まで知らなかった。
     本格的に、これは、やばいかもしれないな。
     夢見心地のぼくの耳に、主人とメイドの会話が、おぼろげに届く。
    「ひとまず――を、――しといてもらえるね」
    「把握しましたわ」
    「それから――のことだけれど――については、トーカに一任したいと思うんだね」
    「……は。それは、どういう」
    「そう怪訝な顔をしないでもらいたいね。我はこれから、やることが、それはそれは沢山あって、――に構っている暇が、なさそうだからね――」
    「私にはよく、意味が――」
    「ああ、そういうこと。つまりこういうことだね。トーカは暫くの間――してもらうと。そういうわけだね」
    「…………」
    「だいじょうぶ、だいじょうぶ。費用とか、そういったことは、我のほうで責任もつから」
    「そういう問題では――」
    「そういう問題でしょ。トーカは先輩なんだし。色々と教えてあげて欲しいと思うんだね。それに、トーカ。――貴様は、我に逆らえない、そのことを忘れてもらっちゃ、困るんだね」
    「――わかりましたわ。…………」
     ぼくは二人の声をぼんやりとした意識で聞いていた。
     ふと、ぼくは夢を見ているのではないかと思った。
     考えてみれば、わけのわからない状況を、今まで抵抗もなく受け入れていたことのほうが、自分でも不思議だった。
     夢を見ていることを自覚している状態――明晰夢、ってやつなのか。話には聞いていてが、見るのはこれが初めてだった。
     そうか。
     これって、夢かあ。
     ふうん。
     まあまあ、面白い……夢、だったかな。支離滅裂な感は否めないが。
     夢というのは、潜在的な欲望や、トラウマを、象徴的に表したものだという。
     でも――《あれ》は、我ながら、悪趣味だった。
     メイド美少女やら白衣を着た美人やら――そういうのは、まあ、悪くない。ぼくとしては、自分のことながら、意外な嗜好ではあるけれど、そこは、自分でも理解不能だという深層意識のことだから、そういうことも、あるのだろう。
     それでも――《あれ》はさすがに、許容、できない。
     あんなものがぼくの欲望だったり、トラウマだったりするというのは――
     正直、あまり考えたくない話だった。
     現に、ぼくはいまだに、心のどこかで《あれ》を見たという事実を否定したがっている。まあ、夢の中の話なら、所詮、どうということはないのだったが。
     それに、こうして、夢の中での意識が薄らぐということは――目覚めが、きっと近いのだろう。そうなれば――ひとたび、朝日を拝んでしまえば――こんな荒唐無稽な夢のことなんて、綺麗さっぱり、忘れることが出来るというものだ。
    「どうでも、いいさ。まったくもって」
     目を閉じてそう呟く。
     そう、自分に言い聞かせた。
     脳内の理屈がない交ぜになり、意識が混濁し、深い闇へと、心地の良い安楽へと、堕ちていく。ぼくはそれに身を任せ――

     そうして、ぼくは覚醒した。
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