エピローグ
3
慎二はひとしきり回想を終えると、飲み終えたオレンジジュースの缶を水ですすいで流しに置いた。
「さて、そろそろ行くか」
そう一言気合を入れて、慎二は腰掛けていた椅子から立ち上がった。
―調子はどうだ、桐嶋慎二―
突然頭の中に声が響いた。だが慎二は落ち着いた声で返答する。
「いいですよ――とっても」
それを聞いた声の主は、再び慎二に訊いた。
―そうか……今日は彼女は来るのか?―
「さあ。特に来るとは言ってなかったけど」
慎二が明るくそう言うと、
―楽しそうなのは結構だが、見せ付けられるこっちはいい迷惑だ―
と、不満げな様子の声が返ってきた。
そんな声の主に、慎二は茶化すように言う。
「そんなこと言って、桂先生も案外楽しんでません?」
―そんなことはない。何が悲しくて貴様と四六時中同じ景色を見なければならんのだ―
「まあ、そうなっちゃったもんは、仕方ないですよね」
―ふん。こんなことなら、貴様に起動方法など教えないで心中したほうがよかったかな―
「あはは。……先生には感謝してます。本当に」
慎二は真面目な表情でそう言った。
―正直、本当に魔の釜を起動してしまうとは思わなかったが……まあいずれにせよ、あの状況では他の選択肢はなかった―
そこで桂は一度言葉を切った。
―桐嶋、一つ訊いておきたい―
「何をです?」
桂の声は珍しくためらいがちだった。
―本当は貴様は後悔しているんじゃないのか……コイル≠発動させたことを―
「……そんなこと、ありませんよ」
―無理をするな……あれだけ濃密な体験をして、それを周りの人間全てが忘れているなんて気分は、味わいたくないものだ……私だって今でも時々、嫌になる―
慎二は少しの間黙っていた。だが、すぐに、
「僕に後悔する権利なんてないですよ」
と言った。
「全部、僕が望んだことなんですから」
桂は溜息をついて、
―強いな……本当に貴様は強い。だからこそ、魔の釜の蓋を開けることも出来たのだろうな―
と感慨深げに言った。
「それに……先生の身体が戻らなかったのだって、僕がちゃんとコイル≠ノお願いしなかったせいですしね。まあ、お互い様ということで」
それを聞いた桂は声を立てて笑ったが、その時慎二はふと思いついて尋ねた。
「そういえば、前から疑問だったんですけど……どうして、桂先生も美千瑠も、僕に最初に話してくれなかったんです? 襲う必要もなかったじゃないですか」
桂は一瞬沈黙した後、
―は?―
と言った。険のある声だったので、慎二は少し言い訳した。
「美千瑠は忘れちゃってるから訊けないし、ずっと気になってたんですよ。……先生と美千瑠はコイル≠護る仲間だったんでしょう? 理事長を騙すために僕を偽の魔力の伝達役に仕立てたかったのは分かるんですけど、だったら直接僕に言えばよかったじゃないですか」
―…………―
「もしかして、先生が僕の身体に入って僕の身を護るためとかですか? いや、それだって、ずっと嘘をつき続ける理由にはならないよな……」
―そんな事も分からないで、今まで過ごしていたのか……?―
桂は慎二を小馬鹿にしたように言った。慎二はすこし腹が立ったが、
「そんな、もったいぶらないで教えてくださいよ」
と哀願的な声を出した。すると桂は呆れたように答えを口にした。
―貴様が理事長の内通者だったら、ブラフが一発でパァだろうが―
「あ……そうか……」
慎二は自分の間抜けさ加減を今度ばかりは真剣に呪った。
「僕を襲ったり、美千瑠に撃たれて殺されたり――全部僕を騙すためだったんですね」
―当たり前だ。他の諸々も、全部演技……敵を騙すにはまず味方からだ―
「でも、自分の身体を無くしてまで――ちょっとやりすぎじゃないですか?」
負け惜しみのつもりで言ってみた慎二だったが、桂は何故か何も言わず、そのまま黙り込んでしまった。