エピローグ
2
魔の釜が開いた時のことを、慎二は覚えていない。
あの日、目を覚ました慎二が最初に見たのは晴れ渡る青空だった。
次に見たのは、すぐ傍で慎二の顔を覗きこんでいる美千瑠の心配そうな表情。慎二は校庭のど真ん中で泥だらけのまま気を失っていたらしい。
「――大丈夫?」
と美千瑠は言い、慎二も、
「大丈夫」
と返したが、何故自分が無事なのか、理事長はどこへ行ったのか、慎二は全く分からず混乱した。
だが慎二の混乱をさらに深めたのは、続く美千瑠の言葉だった。
「あの……私たち、どうして学校なんかで寝ているんですか?」
慎二は不審に思ったが、コイル≠笳搦亦キ、西尾など、昨日起こったことについて美千瑠に話して聞かせた。
だが、美千瑠の反応は慎二の想像と真逆だった。
「面白いお話ですね」
唖然とする慎二に、美千瑠は追い討ちをかけた。
「そういう話、私は嫌いじゃないですけど……」
幸いにもその日は日曜日で、部活のある生徒以外は登校せず、しかもグラウンドが水浸しになっていたため、校庭にはまだ誰の姿もなかった。
慎二は美千瑠を連れてひとまず学校を出た。
「みち……御牧さん、家はどこ?」
制服が無残に汚れている美千瑠を一人で帰らせるのは忍びなかったので、慎二はそう訊いた。
「えっと、あれ……? 分からない……どうして」
慎二はいちいち驚いてはいられないと腹を括り、冷静な口調で言った。
「御牧さん、僕のことは覚えてる?」
「え……はい。同じクラスの、キリシマくん、でしたよね?」
その返答で慎二はようやく確信した。
美千瑠は魔法や魔術に関する記憶を全て失っていた。慎二と関わるようになったのもコイル≠ェきっかけなのだから、ほとんどの記憶は消えてしまったのだろう。
仕方なく慎二は自分の家に美千瑠を連れて行った。
慎二の家で美千瑠はシャワーを浴び、学生服を洗濯した。
「ほんとうに、ありがとうございました」
用事が済むと美千瑠はそう礼を言って慎二の家を後にしようとしたが、
「あ、でも……私、どこに行けばいいんだろう……」
と頭を抱えた。慎二が思わず、
「じゃあ、しばらくうちに泊まったら?」
と提案すると、美千瑠はなぜか妙に嬉しそうな顔で快諾した。
そうして、美千瑠が学校近くのアパートを見つけるまでの数日間、二人は慎二の家で一緒に過ごした。
美千瑠は記憶が不確かなままでは怖いと言って学校に行くのを拒否したが、慎二は月曜日から登校した。状況がどうなっているのかを掴むためにはそれが一番いいと思ったのだ。
大介と冴枝は、全く何食わぬ顔で慎二を待ち構えていた。
慎二が予期していた通り、二人は二日間の記憶の大部分を失っていたが、
「なんかよお、すげえモヤモヤすんだよな……昨日俺ら、お前の家に行ったよな? その後、何したんだか全然思い出せねえんだが……」
と大介は言っていた。本当にコイル≠ノ関わること以外ならば覚えているようで、日常生活に支障はなさそうだった。
理事長はあれきり姿を消した。冴枝に番号を教えてもらい、慎二は理事長のオフィスに電話をかけてみたが、まだ休暇から戻っていない、と女の秘書が教えてくれた。それから数週間たって、ようやく新聞等でも大病院経営者の失踪事件として取り上げられ、学内でも騒ぎになった。警察が何度か学校に来て捜査をしたりもしたが、手掛かり見つからないままひき上げて行った。更に一ヶ月が過ぎた頃には噂する者もほとんどいなくなった。
慎二は大介がどう思っているかが気になり、一度それとなく聞いてみたことがある。
だが大介の返答はあまりにあっけらかんとしており、慎二はかえって複雑な気分になった。
「理事長? ――ああ、あいつか。あんなクソ親父がどこに消えようと、俺の知ったことか」