第五章 悪魔の釜
6
上ヶ崎高校の門を潜ると、校庭は工事現場の様相を呈していた。
建造物の解体に用いる、クレーンの先に巨大な鉄塊を結びつけたものや、コンクリートを押し潰すローラー車等の重機が、開戦前の戦車のように整然と並んでいる。
『ふん。ずいぶんと大袈裟なことだ』
「ククク……夜間に秘密裏に破壊するとなっては、流石に建設業者に頼むわけにもいかなくての……人も機械も、全て自前で揃えるには金が要ったわい……」
理事長はそう言って老獪に嗤うと、懐から小型のトランシーバーを取り出した。
「クククククク……今夜、わしの長年の目標が叶えられる……その瞬間をとくと見るがいい、魔女よ」
『…………』
「――作戦開始」
理事長の声と共に、沈黙していた重機のエンジンが稼動した。
数十台分もの巨大なディーゼルエンジンが一気に吹かされ、凄まじい騒音が鳴り響く。
あらかじめ校舎近くに配置されていたクレーン車が、鉄の球体を早くも校舎の壁に激突させた。
コンクリートの壁が一撃で勢いよく陥没し、周囲の窓ガラスが一斉に割れる。
その脆くなった部分を再び鉄球で打撃し、今度は一気に壁を貫通させた。
その穴からローラー車が突入し、内部の壁や仕切りを悉く破壊していく。
同時に別の場所でも轟音が響き、瞬く間に校舎の一階は柱だけを残して骨組みが丸裸になった。
「ククッ、一階は外れか」
理事長は楽しそうにそう言うと、再びトランシーバーで命令を送った。
「次は二階だ。……さあ今度はどうかな? お主はどう思う?」
『――悪趣味だな。どうせ、洗脳した人間を使っているのだろう』
桂は無表情で言った。
「お主に言われるとは心外だの。死人を傀儡下僕にすることの方が余程悪趣味ではないか?」
『生ける屍(ゾンビ)作りにはもう飽きた』
「クク、そうか……なればこそ、新しい力を欲するというわけだの。お主の願いはなんだ? 魔の釜に何を望む?」
二階部分の外壁を破壊すると、ローラー車に代わり今度はショベルカーが長い腕を内側に突き入れて内壁を破壊していく。
『そうだな……魔女ではなく、本当の魔法使いになりたい、とでも言っておこうか』
その言葉を聞いた理事長は突然顔色を変えた。
「戯言だの。魔術師、魔女、妖術使い、幻術使い、魔法使い――呼び名は違えど本質は同じこと。皆等しく、悪魔に心を明け渡した存在に過ぎぬ」
『――』
二階も吹き抜けになった。
「外れか。次は三階をやれ――だが魔法使いを名乗る連中は、自分達だけが特別で高貴だと思っておる。わしはそれが気に食わん。魔術師であるわしと、奴等との間に、一体どれほどの差があるというのだ?」
『――』
「確かに魔法使いの魔法は強力だが……結局のところ、それは魔力の量、あるいは技術的な問題に過ぎぬ。それを、奴等は、あの高慢な魔法使いどもは――だからこそ、わしは、」
『――コイル≠手に入れたかった、と? 自分も彼らと同じ奇跡を起こせるということを証明するために? 下らない――』
三階の壁があらかた崩された時、桂綾子が冷たい声で言った。
『――だから貴様は魔法使いに勝てんのだ』
「何――?」
その時、桂の視界の隅で、何かが小さく光った。
次の瞬間、理事長の腕が爆ぜていた。
「な――」
肘から先が無くなった自分の腕を呆然と見ながら理事長が叫んだ。
「ど、どういうことだ――? お主、一体何をした――」
理事長は素早く身体を捌いて桂から離れた。片方の腕で傷口を押えながら、老人は再び喚いた。
「あ、有り得ない……この学校の敷地内では――発動前のコイル≠フ内部では、いかなる魔術の発動も打ち消されるはずではないか――」
『私は何もしていない。実際、何も出来ない。私の魔眼が貴様に効いていないことがその証拠だ』
「では何故だ! 他に誰かが居るということか?」
『さあ、どうだろうな』
「な――」
今度は肩から先が無くなった。
「ぐあああ!」
桂は遠方へと目をやった。
先程光が見えた場所――校舎の屋上にある小さい尖塔――から、さらに何発か連続して光線が走った。それらは敷地内の重機のキャタピラに正確に命中し、強力な熱線が当たったようにどろりと溶かした。足を失ったクレーン車やローラー車はぬかるみの中で動きを止めた。
その後も立て続けに、青白い光が重機を射抜き、校舎の解体作業を完全に停止させた。
「く……どこだ、いったいどこから撃っている!」
「お呼びかしら」
理事長の背後から声が聞こえた。
「―っ」
御牧美千瑠が立っていた。銃口を理事長に向けたまま、美千瑠は桂に目配せをした。桂は頷くと、拳銃の射線に入らない位置まで移動した。
「こんばんは、唐沢理事長――いい夜ですわね」
雨で全身を濡らしながら美千瑠はにこやかに微笑んだ。
理事長は驚愕に目を見開いた。じりじりと美千瑠からの距離を稼ぎながら言った。
「その銃……分身か――西尾が始末したと連絡をして来たのは――」
『後でなぶりものにでもする気だったんだろうよ……貴様と同じで、相当趣味の悪そうな男だったからな』
「あの、馬鹿め……」
理事長は毒づいたが、桂はそれを無視し、美千瑠に向き直って言った。
『いい腕だ。だが遅いぞ』
美千瑠は理事長から目―金色に輝く魔眼―を離さずに応えた。
「すみません……。理事長の気を引いておいてくれて感謝します、桂先生。おかげで上手く侵入できました……それにしても焦りました」
『まったくだ――この桐嶋(ばか)がここに乗り込むと言い出したときは、どうしようかと思ったが。それにしても貴様、惚れられたものだな』
「なっ……べつに、そういうのじゃ、ありませんから」
『ふん、まあいいさ。それよりも、今はこいつが先だ』
「――ええ」
美千瑠は短くそう言うと、一歩ずつ確かめるように理事長に近寄った。
理事長は美千瑠の顔を瞬きもせずに凝視して立ち止まっていた。
「……やっぱり、あなたでしたか。理事長」
「く……体が……なぜコイル≠フ中で魔術を使えるのだ……そのせいで、あの部屋の位置を探し出せなかったというのに……」
「私はコイル≠フ守護者ですよ? 使えないはずがないでしょう」
「……分身の分際で生意気を言いおる……」
「何を言っているんですか……私は御牧美千瑠ですよ」
美千瑠は一呼吸置き、言った。
「――本物の」
一瞬の沈黙が降りた。
「馬鹿な! そんなはずはない!」
理事長は声を荒げた。
「本体は……御牧美千瑠は、あの本校舎の部屋に隠れているのだぞ! 外にのこのこ出て来るものか!」
『ブラフだよ、ご老人。初めから分身など居はしない』
「なんだと……!」
「全ては、理事長……あなたを誘い出すためにやったことなんです」
美千瑠が理事長を牽制しながら言った。水平に構えた拳銃が雨に打たれて、その表面の装飾が艶めいている。
「二年程前から、コイル≠狙う人間が居る――そういう気配は感じていたわ。これでも守護者だから、そういうことには敏感だし、コイル℃ゥ体が一つの結界として敵の侵入を察知してくれた……。何度か襲撃を受けた時には、敵を捕らえて誰に命令されたのか聞きだそうともしたわ。でも相手は慎重で、なかなか尻尾を掴めなかった」
美千瑠の言葉を、今度は桂が引き取った。
『犯人の顔が割れなければ、防戦以外にどうしようもない……しかもどこから襲ってくるかも分からない敵を相手にだ。そんな状態が長く続けばいつかこちらが疲弊してしまう。だからあえて餌をたらして、相手が食い付くのを待つことにした』
「守護者である御牧美千瑠が分身を作り出し、本人は校舎のどこかに身を隠した――それを敵に確信させるのには苦労したわ……真実味を出すためには何でもやった。実際に秘密の部屋を作ったのはもちろん、襲撃された時にはわざと追い詰められてた振りをしてみたり、情報操作も数え切れないくらい何度も、念入りに」
黙って話を聞いていた理事長が上ずった声で言った。
「では……本体と分身の魔力伝達が切れたというのも……」
『それも数ある情報操作の内の一つだ。だが貴様がそれに食い付いたのは結果に過ぎない。美千瑠の分身が居る、という話を確信していたからこそ、そのブラフが効いたのだからな。……とにかく貴様は騙され、校舎を護る分身の力が弱ったと思い込んだ。そして西尾を動かして美千瑠の動きを抑え、その間に校舎の破壊を強行しようとした』
「でもそれが私たちの思う壺……あなたは白銀の魔術師を私の足止めとして派遣し、安心して高校に乗り込んで来た……これが最後の罠。私は西尾に負けたように見せかけて、あなたが行動を起こすのを待っていたんです」
『やっと私たちは貴様を炙り出し、追い詰めた。観念することだな』
桂がそう結論した。
理事長の瞳を見つめたまま、美千瑠がガチリと撃鉄を起こした。
理事長は美千瑠の眼に捉えられて身動きが取れないまま、苦しそうに呻いた。
「畜生めが……」
「では、――さよなら、理事長」
美千瑠の指が、拳銃の引き金に掛かった。