第五章 悪魔の釜
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数分後。
慎二、冴枝、大介の三人の姿はタクシーの車内にあった。
強まり始めた雨に打たれながら大介の肩を支えて慎二と冴枝が桐嶋邸の門を潜った時、折り良くやって来たタクシーにそのまま飛び乗り、冴枝はすぐさま高校に向かうよう運転手に指示したのだった。だが慎二は些か都合が良すぎるように思った。
助手席に座った慎二がそのことを冴枝に訊くと、
「何言ってるの。あたしが呼んだのよ」
と一蹴された。
「救急車なんか呼んだら、理事長が経営する病院に運ばれるに決まってるわ。あそこはここらじゃ唯一の大病院なんだから。……そんな、敵地にのこのこ乗り込むような真似は出来ないわよ」
「でも大介の足を治療しないと……」
「途中であたしの行き着けの病院に寄るわ。外科もやってて、腕はいいそうよ」
大介は冴枝の膝を枕にして座席を跨いで横になっていた。まだ意識は朦朧としているらしく、時折うわ言のような声を漏らしている。
その時ふと、慎二の頭の中で声が響いた。
―桐嶋―
「えっ」
慎二は反射的に声を上げてしまった。フロントミラーの中の冴枝が妙な顔で慎二を見た。
「あんた、どうしたの? 独り言を言ったり、いきなり声出したり……そういえば西尾と話している時も、なんか変じゃなかった?」
「そ、そんなことは、ないよ」
冷や汗を噴出させながら、慎二は心中で桂に悪態をついた。
―急に話しかけないでよ!―
―そんなことは私の勝手だ。……まあ聞け。その男を病院へ連れて行く必要は無い。もはや治療など不要だ―
―そんなはずは……第一、あんなに苦しんでるじゃないか―
黒一色だった窓の景色が突然明るくなった。
窓に張り付いた大量の雨粒が光を乱反射して煌いている。
美坂市の中央通りに出たタクシーは更にその速度を上げた。街灯や店の照明が光の線となって後方に流れていく。
―それは怪我のせいではないさ。他人の魂を受け入れる時の拒絶反応だ。身体的な傷害はとっくに回復している―
―他人の魂……?―
―あの魔術師の魂だ。……今、お前の友達は、自分の存在を賭けて西尾の魂と身体の奪い合いをしている―
後ろで大介が一際大きな唸り声を上げた。喉の奥から声を吐き出す時のような、少し不気味にも思える音だった。慎二の隣の運転手が、ちらりとミラーで大介を盗み見た。
―もし……その奪い合いに負けたら……?―
慎二は嫌な予感を覚えながら桂に訊いた。
―その時は、唐沢大介の皮を被った西尾承太郎の完成だ―
―そんな……―
―そもそも唐沢大介は既に一度死んでいる。それを、あの魔術師を生命力(パウダー)に使って蘇生させてやったんだ。西尾の代わりにボコールである私自身の存在を使っていたら、奴はとうに私の下僕になっている。今持ち堪えているだけでも、有難いと思え―
桂の使う言葉や言い回しに不明な点が多すぎた。
―先生、あなたは一体、何者なんだ―
桂は鬱屈した笑いを漏らすだけだった。
慎二は桂に何を言うべきか分からず、後ろの冴枝に話しかけた。
「榊さん……大介の様子はどう?」
冴枝は大介の額に手を当てて青ざめた表情をしていた。
「どうしたの?」
「それが……身体が冷たいのよ……なによこれ……死人みたい」
だが大介はその直後にも呻き声を上げた。少なくとも生きているのは間違いない。
慎二は出来るだけ平静を保ちながら言った。
「ちょっと、大介の足を見てくれないかな」
冴枝は一瞬顔を強張らせた。慎二の家のホールで確認したときには、大介の足には幾つもの穴があいてズタズタの状態になっていた。それをもう一度目にするのは冴枝も嫌なのだろう。
しかし慎二は再び頼んだ。冴枝は僅かな沈黙の後、
「わかったわ」
と応じ、大介の足に手を伸ばした。ぼろぼろになった大介のズボンを恐る恐る捲った冴枝は、そのまま固まったように静止した。シート越しに振り返って見ていた慎二にも、その理由が分かった。
「うそ……」
大介の足には、穴どころか掠り傷一つ、無かった。
―どうだ。気は済んだか―
桂が慎二だけに呼びかけた。
慎二はそれを無視して、運転手に行き先の変更を告げた。
「……上ヶ崎高校まで行ってください。……ええ、病院には寄らないで、このまま真っ直ぐ。出来るだけ、速く」