By the words of WIZARDS

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  •   第四章 白銀の月光  

        3

     夜霧の中、鬱屈した笑い声だけが響いていた。
     慎二と大介は土の上に倒れ伏した冴枝の姿を呆然と見つめていた。
     操り糸が解かれたにも関わらず、彼女はぴくりとも動かなかった。
    「――ククククククク」
     美千瑠は喉の奥を震わせるような乾いた笑い声を上げていた。
     冴枝の傍に落ちていた拳銃――その表面には白銀の装飾が光っている――を拾うと、美千瑠は言った。
    「さあ、馬鹿な女は一足先に逝きました――大人しくしていた貴方たちには、ご褒美に、死に方を選ぶ権利をあげましょう」
     その顔に狂気と狂喜を浮かべて、美千瑠はおどけた。
    「この女のように銃弾で死ぬか。それとも桂綾子のように魔弾で気持ちよく吹き飛ばされるか――どちらがお好き?」
    「てめえ!」
     無事な方の足を屈めて力を溜めていた大介が美千瑠に飛び掛った。
     大介は片足で跳躍したとはとても思えない速度で突貫したが、美千瑠は避けようともせずにその場に佇んでいた。
    「――もらった!」
     大介の拳が美千瑠の顔面に直撃する寸前、大介の動きが止まった。
    「武器も持たずに私を攻撃するなんて――考え無しの馬鹿は嫌いよ」
     美千瑠の手から再び銀の糸が伸びていた。
     大介は両腕、胴、首を締め付けられていた。ぴんと張った糸はつっかえ棒のように硬化し、大介がそれ以上美千瑠に近づくのを阻んでいた。
    「そんな馬鹿にはお仕置きが必要ね――首吊りの刑がいいかしら」
     美千瑠の指先がくいっと動いた。
     ただそれだけで、大介の身体が数メートル空中に引き上げられた。
    「大介!」
     慎二は美千瑠を止めようと走り出した。大介を吊り上げている銀の糸にしがみ付いて降ろそうとしたが、
    「邪魔よ」
     と美千瑠は手に持った拳銃の底で慎二の後頭部を強打した。
    「うあ――」
     重量のある鉄塊で打ち付けられた慎二は気が遠くなる感覚を覚えた。意識を保つことだけにはなんとか成功したが、全身がぐにゃりとした軟体動物に変わったように言う事を聞かなかった。
    「う……」
     足元がぐらぐらと揺れ、自分の身体が仰向けに倒れこむのを感じる。
    「大介……」
     慎二の眼には月のない夜空がぼんやりと映っていた。
     ――暗い闇い、漆黒の空
     その中心で、大介の身体が揺れていた。両腕と胴の支えのために首は締まっておらず、大介は必死に逃れようともがいているようだった。
     ――昏く冥く、生血を啜る
     視界の端に、うつ伏せに倒れた冴枝が見えた。長い髪に隠され、その表情は見えなかった。
     ――赤く紅く、月は染まりて
     美千瑠は厭らしい笑みを貼り付けて、大介を見上げている。
     ――死に逝く吾を、嗤い給う――
     その口元が、動いた。
    「ショウ・タイム」
     大介の身体に巻きついていた糸が、首だけを残して取り払われた。
     がくん。
     大介の身体が僅かに落ち、衝撃を伴って再び空中で止まった。足元の床が開いた時の死刑囚のように、緩慢な振り子が律動(リズム)を刻んでいた。
    (ああ。大介が、死んだ)
     慎二は無感動にそう思った。
     覚めかけた夢、あるいは睡魔の底に落ちていく刹那。そんな微妙な境界線を慎二の意識は彷徨っていた。目の前の出来事がすべて現実味を失っているように思え、しかしその中でも冷静な思考を巡らせている――そんな矛盾した感覚。
    「あははははははははハハハハハハヒヒヒヒヒイ」
     御牧美千瑠が笑っている。
     身体を不自然なまでに反らせて、両手を広げて、それはまるで狂ったピエロだった。
     大介の身体に隠れていたのか――月が慎二を照らし出していた。
    「綺麗な月ねえ、愉快だわ。実に愉快、愉快、愉快だよ」
     美千瑠は異様に仰け反った奇怪な姿勢のまま、ぐるりと首を回して慎二に顔だけを向けた。
    「クククク、あんまり愉快で、魔法がとけてしまいそう――君もそんな気がしませんか、桐嶋慎二君」
     そう言った美千瑠の声は、男のそれのように低く、くぐもって聞こえた。
     次の瞬間、美千瑠の姿がどろりと溶けた。
     美千瑠の顔が腹の辺りに動き、足は手と、指先は眼と、眼は耳と、耳は鼻と入れ替わった。
     体のパーツそのものも次第に形を失い、美千瑠の身体は銀色の歪な球体に変化した。
     球体は上下に引き伸ばされ、円柱状の物体に変わった。円柱の側面は銀色の糸で幾重にも覆われ、繭のように見える。
     その糸が、紡績機に掛けられたようにシュルシュルと音を立てながら、端から上空へと吸い込まれていく。
     そして、全ての糸が消え去った時、そこには美千瑠の姿はなく、月明かりを背に黒いスーツを細身に纏った、長身の男が一人、立っていた。
     男はスーツに残っていた銀色の糸を手の甲で払い除けると、慎二を見下ろして言った。
    「昨日に続き、お目にかかるのは二度目でしたね。 ……どうです、迫真の演技だったでしょう?」
    「おまえは……」
     慎二は朦朧としたまま呻きを上げた。
     男は場違いな微笑を湛えて、悠然とした歩みで慎二に近づき立ち止まる。
     そして男は丁寧な動作でお辞儀をし、ニイ、と口角を吊り上げた不気味な表情を浮かべた。
    「今一度、自己紹介をさせて戴きましょうか―― 私、白銀の魔術師$シ尾承太郎と申します。以後、お見知り置きを」
    「――御牧さんはどこに居るんだ」
     そう言った瞬間、心臓が締まるような苦痛が慎二を襲った。
     昨日、桂綾子に襲われて以来、ずっと慎二を悩ませていた、体の中の紅い何か。
     昼間学校で、文化部の聖域≠フ突き当たりの壁の前で、それは慎二の意識を侵食した。
     あの時と、同じ気配。
     おぞましい勢いで腹の底から這い上がってくるような、嘔吐にも似た恐怖。
    「? 貴方はご存知のはずでは?」
     とぼけたように言う西尾に慎二は怒りを覚えた。
    「何を言っている。美千瑠はどこだ。話さなければ――貴様を殺す」
     慎二は体内から噴出するような激怒の感情に任せて言葉を発した。同時に、慎二の中で、何かのタガのようなものが外れた気がした。というよりも、何か今までの慎二とは違う何かが、外に出ようともがいているかのような――。
    「おお。見かけによらず物騒な事を言いますね……なるほど、どうやらあの守護者(ガーディアン)の分身≠フ事を言っておられるのですね」
    「分身だと?」
    「やはりご存知ありませんでしたか。貴方がここに匿っていた御牧美千瑠は、本当の御牧美千瑠が作り出した分身なのですよ。そして貴方は、本体と分身の間で魔力を運搬する人間として彼女らに選ばれた――これが真相です」
     慎二は絶句した。冴枝の推理は見事に的中していた。
     西尾はさらに続けた。
    「この際ですから全てお話しましょう――御牧美千瑠は貴方がたの高校に仕掛けられたコイル≠起動する方法を知っている。そして彼女はそれを誰にも知らせずに、守り通そうとしている。ここまではよろしいですか?」
     得意げな西尾の声に、慎二は苛立った。
    「黙れ。そんなことはどうだっていい……何故、大介と榊さんを殺した。貴様がここに居るのは理事長の差し金か」
    「まあまあ……人生、焦ってもどうにもならないことは多々あるものです」
    「貴様――」
     嘲笑するような笑みを浮かべて西尾は言った。
    「そうですねえ……まあ、今の貴方の疑問に先に答えておいてもいいでしょう」
     西尾は肩を竦めたが、その拍子に、まだ右手の指から伸びていた糸が西尾の髪に触れた。
     大介を吊るしている糸だった。
    「おっと、忘れていました――意識していなくても糸を調整してしまうのですよ。慣れとは怖いものですね」
     言うが早いか、西尾は左手を手刀にして、何の躊躇もなく糸を断ち切った。
    「待――」
     大介の身体が地面に転がり、骨が潰れる嫌な音が響いた。
    「まずは、貴方の友人を殺した理由でしたか? 邪魔だったからです。理事長の差し金か、という問に対しては、イエス、が回答です」
    「……そんな筈はない。大介は理事長の息子なんだぞ」
     西尾はやや意外そうな顔になると、振り返って大介の死体を見た。
    「おや、そうでしたか……? これは失敗、失敗。確認しておけばよかったですね。まあ大した事ではありませんが」
    「何だと……!」
    「ご心配なく。後でいくらでも生き返らせて差し上げますとも。もちろん私にとって不都合な記憶は消させて戴きますが」
    「そんなこと出来るわけが――」
    「出来るのですよ。コイル≠使えばそれが可能になる……絶大な魔力を生み出し、不可能を可能にする悪魔の釜……それが、あの小娘(ガキ)が守っているものの正体――だから私はそれが欲しい。お分かりか?」
     西尾は興奮で唇を戦慄かせて独り言のように呟き続けた。
    「それには小娘を殺しても意味がない……拘束してコイル≠フ起動方法を吐かせなければ……だが私はしくじった……あの守護者は私の接近を察知して身を隠してしまった……」
     慎二は西尾の独白を聞く余裕を徐々になくしつつあった。
     西尾の顔を見ていると、その口が語るのを聴いていると、それはもう殺したくて殺したくて仕方がなくなっていた。
    「……こうなるとコイル≠フ存在が逆に厄介だったが……しかし既に問題は全て解決した……ついに私も――――何だその眼は」
     西尾は言葉を切り、驚愕したように両目を見開いた。
    「――何の冗談ですか、それは――魔眼――?」
     怯えた声でそう言いながら、西尾は慎二から離れるように数歩後ずさった。
    「ち、近寄るな!」
     慎二の視界が紅く染まっていた。
     夜空は赤色に反転し、黒い月が巨大な穴のようにぽっかりと口をあけている。
     木々は目の覚めるような鮮やかな赤。
     赤い地面からは風に清清しく靡く赤い草花。
     アルタイルが禍々しく地表を照りつけ、昼間のようによく見える赤い雲が一片、はぐれたように浮いている。
     その赤い世界の中で、ただ一つ赤くないものが、じりじりと慎二から遠ざかろうとしていた。
    「近づくなと言っているのです! ……くそっ」
     赤くないものはそう叫ぶと、指から銀色の糸を飛び出させた。それは慎二の身体に的確に絡みついた。慎二の動きを拘束すると共に間髪を入れず驚異的な力で締め上げた。
    「クククク……これで動けまい……あとは私の魔力を送り込めば、貴方の身体はバラバラに切断されて、即死体の出来上がりです。覚悟はよろしいか?」
    『……何を怯えている、白銀の魔術師』
     慎二は自分の声が、慎二の意志とは関係なく、そう言うのを聴いた。
    「何……?」
    『魔術師にとって感情の制御(コントロール)は基本中の基本だ……決闘の最中に度を失うようでは、魔術師の風上にも置けん』
    「――魔術師。クククク……私には魔術師などという肩書きは要りません……今夜限りで、そんな物とは金輪際おさらばするつもりですよ」
    『コイル≠ゥ……ふん。そんなものに頼ろうとする発想がそもそも根本的に誤っている。貴様程度の人間では何世紀かけようと魔法使いにはなれない』
     西尾はぎりっと歯噛みをすると、額に青筋を立てて怒鳴った。
    「黙りなさい! 私はいつでも貴方を殺せるのですよ!」
    『笑わせるな。それはこちらの台詞だ』
     そう言って、慎二は腕に巻きついた糸に反対の手の指で触れた。
    「――?!」
     一瞬にして、糸は血の様な赤い液体になって解け去った。
    「な――」
     慎二はさらに反対の腕と両足の糸にも触れ、同様に消した。
    『貴様はとっくに私の空間に落ちているのさ……ここでの法則は私だ。貴様の術など効くものか』
    「何だ……なんなんだ、お前は……」
    『貴様に語る名は無い』
     慎二は西尾に向かって歩き出した。
    「う、うわああ」
     西尾は逃げ出そうと振り向いたが、足元の大介の死体に躓き、赤い雑草の中に倒れこんだ。
    「くそ――」
     立ち上がろうと身を起こしかけた西尾は、足首を掴まれる感触に思わず自分の足もとを見た。
     土気色の顔の大介が、西尾の足首を、両手で捕らえていた。
    「うわああああああああああ」
     掴まれた足首から、西尾の身体が溶け始めた。
    「ああああああああアアア」
     みるみる内に腰まで溶けた。
    「アアアアアァッ」
     あっと言う間に首まで溶けた。
     全身が白銀の液体となった西尾承太郎は、大介の身体に少しずつ飲み込まれ、ついに消えた。
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