第四章 白銀の月光
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風が強まりつつあった。
冴枝と二人して夕方の通りを歩きながら、慎二は肌寒さに身を縮める。
「榊さん――」
慎二は冴枝に控え目に呼びかけたが、冴枝は答えずに前だけを見ていた。
生徒会室を出てから二人の間に交わされた言葉は僅かだった。厳しい表情で黙々と早足で歩き続ける冴枝に話しかける機会を慎二は見出せなかったのだ。
だが長時間の沈黙に慎二は我慢し切れなくなって来ていた。
「榊さん」
「何」
「昨日からずっと、僕の周りでわけのわからないことばかりが起こっているんだ……榊さんにまで隠し事をされたら、やってられないよ」
「隠してたわけじゃないわよ――」
冴枝は意外そうな表情で慎二を見ると、ふっと笑った。
「ただ、まだ推測の段階だから――しかもかなり先入観が入っているわ――証拠が見つかるまで適当な事を言いたくなかったのよ」
「それでも、榊さんの考えがあるのなら僕は聞きたい」
「そう――なら、今言った前提で聞いてほしいんだけど」
冴枝はやや歩調を緩めて話し出した。
「昨日あんたは桂先生に襲われ、桂先生は御牧美千瑠に殺された。あんたの話を信じるなら、これは殆ど唯一と言っていい確実な事実よね。余りにも手札が少ないから推理にも限界があるけど、それでも幾つかの事は分かるわ」
「まず第一の疑問――桂先生は何のために桐嶋慎二を襲ったのか。……これは桂先生の言葉を素直に受け取ればいい。つまり――『御牧美千瑠の居場所を知ること』。……ただ、御牧美千瑠は桂先生の受け持ちの生徒なんだから、目的としては不自然よね。恐らく桂先生は何か別の意味で言ったんじゃないかしら」
別の意味――『御牧美千瑠の居場所』を別の意味に取ることなど可能なのか。
「しかも、桂先生はそれを教えるようあんたに要求してきた。つまり、あんたにならその意味が分かると桂先生は考えていたことになるわね」
「でも、――僕には分からなかった。今も分からない」
「そうね……でも、さっきのあんたの話を聞いた限りでは、一つだけ思い当たる節があるわ――いえ、憶測と言うべきかしら」
「それって、どっちが蓋然性が高いのか微妙じゃない?」
「ふふ、まあそれは置いときましょう。……正直のところ、あたしがこれに気付いたのは、実際に御牧美千瑠に会ったことがないからかもしれないわ」
その時、唐突に、冴枝が言わんとしている事が慎二にも分かった気がした。
「そんな――――まさか」
「流石に理解が早いわね……そう」
冴枝はそこで一呼吸置くと、やや興奮気味の早口で続きを口にした。
「御牧美千瑠は二人居るのかもしれない。――これがあたしの出したひとつの答えよ」
いつの間にか二人は立ち止まって会話していた。二人の黒い影法師も地面の色と溶け合って姿を消しつつあった。
「あんたは昨日、桂先生に教われる前に、御牧美千瑠と二度会っている。一度目は数学の授業中に、二度目は四階の消えた部屋で。前者の御牧美千瑠とは、桂先生も目の前で会っているはずよね、今までに何度も。けど、後者の美千瑠にはあんたしか会っていない。そしてそのすぐ後、桂先生はあんたに御牧美千瑠の居場所を尋問しようとした。――これらのことから形式的に導かれる結論は、一つ。前者の美千瑠と後者の美千瑠は同一人物ではない」
冴枝は言い終わると、疲れたように溜息を吐いた。
「そうか……確かに、御牧さんと会っていたのは目くらましになっていたかもしれないね……。あれだけ瓜二つの人間がいるはずがないという認識、それこそが、盲点――」
「誰だってそう思うわよ……それが常識的な判断ね。今の推論だって形式に過ぎないし、結論が奇抜すぎて普通なら一笑に付すところよ。けど、常識が通用しない相手なら、こっちも常識を棄てるしかない。あんたの話だけをもとに考えたあたしの机上の論も、案外真実を突いているかもしれない――」
「なるほど……はは、榊さんの方が、当事者の僕よりよっぽど冷静だ」
「冷静というより、客観的でいられただけよ……あたしがあんたの立場だったら、気付けなかったと思うわ。それに、これからは当事者になるんだからお互い様よ」
冴枝の言葉に慎二ははっとした。
「あ――。……巻き込んでごめんね、榊さん」
「いまさら何言ってんのよ……それに、謝ってばっかじゃ格好悪いわよ? 男なら黙って責任取るくらいの器量を見せなさい」
冴枝は厳しげな言葉とは裏腹に柔らかな口調でそう言った。
「ごめん――」
「だから謝らないの」
その時、二人の背後から声が聞こえた。
「お前らこんなとこで何、突っ立ってんだ?」
振り向くと、すぐ近くに大介が立っていた。手にはコンビニで貰うビニール袋を提げている。
大介は冴枝と慎二を交互に見ながら言った。
「つーか、会長が何で慎二と一緒に帰ってんだ? 寮はこっちじゃねえだろ?」
冴枝はあんぐりと口を開けて大介を見ていたが、ふと我に返ると
「あ、あんたこそ帰り道はこっちじゃないでしょうが!」
と、大介に向かって言った。
「俺は慎二の家に行こうとしてたんだよ、悪(わり)いか――ほら慎二、これ差し入れな」
慎二は反射的に袋を受け取った。それは大きさのわりにかなりの重さがあり、掴むと手の平に食い込む感触があった。中を覗き込むと缶飲料がごろごろと入っているのが見える。
「あ、どうも――って大介。勝手にうちに来るつもりだったの?」
「まずかったか?」
あっけらかんと大介は言ったが、慎二としては今大介に自宅に来られるのは避けたかった。
家には今、美千瑠が居るのだ。
事情を把握している冴枝はいいとして、大介がその事を知れば慎二を根掘り葉掘り問いただすに違いない。慎二が家にクラスメートの女子を泊めているということだけが問題ではない。大介と美千瑠は一年生の時からの知り合いであり、それも、大介が告白して美千瑠が振った、などという、これ以上ない程のややこしい関係なのである。
大介を自宅に招いたりすれば只事では済まないのは火を見るより明らかだった。
「なんか、慎二が元気なさそうだったから、景気づけにでも行ってやろうかと思ってたんだが……ん? ……あーあーあー!」
大介は突然素っ頓狂な声を上げると、慎二の背中に覆いかぶさるようにして肩を組んできた。
「おやおや慎二坊ちゃんも、だいぶオマセさんにおなりあそばしたようですなあ」
慎二の耳元で大介は薄気味の悪い声で囁いた。
「しっかし会長を連れ込もうなんて、度胸あるよなお前」
「はあ!? 何言ってんだよ、大介!」
「照れるな照れるな。しかし趣味が良いとは言えねえな……っていうかお前、御牧を狙ってたんじゃなかったのか?」
「そんなこと一言も言ってないよ!」
「なるほど、二股か。可愛い顔してとんでもないなお前……まあ俺は応援するぜ」
「それ限りなく勘違いだから! というか大介、御牧さんのこと好きなんじゃなかったの!? 告白までしたんでしょ!?」
「ああ、大好きだ。今でも死ぬほど愛してる」
「だったら僕を応援しちゃダメだろ!」
「俺の応援は応援であって応援でない……恋は障害が大きいほど熱く燃え上がる。そうだろ?」
「自信満々に言われても意味不明だから! というかどっちの意味なのそれ!? 僕の邪魔もするってこと!? いや全然OKだけど!」
「基本的にお前を応援しつつも裏ではこっそりアプローチして御牧の気を引いておき、隙あらば奪い取る。……ああ素晴らしきかな略奪愛!」
「余計なことしないで普通に恋愛してください!」
「……あんたたち、こそこそと何をやってるのよ」
冴枝が不審そうに二人を見ている。
「おっと……すまねえ慎二、邪魔しちまったみたいだな」
「いやいやいや」
「んじゃ、お邪魔虫は退散すっから、頑張れよ!」
「いやいやいや!」
「何、ムキになってんだ? 冗談に決まってるだろ……もしかして会長のことマジなのか?」
「いやいやいやいや!」
「お前それ好きだな」
「くあーーー!」