第三章 紅い衝動
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慎二は冴枝に昨日以来自分が経験した事を残すことなく話した。
金色の眼。消えた部屋。桂綾子の襲撃と死。美千瑠の持つ超常の力――。
話を終えた頃には陽は既にかなり傾いていた。
昼休みから喋り通しだった慎二の喉はカラカラに渇いていた。冴枝はじっと姿勢を崩さずに慎二の話を聞いていたが、慎二が「これで終わり」と言うと大きく溜息を吐いて伸びをした。
「っ―――はぁ。……まいったわね。午後の授業、ズル休みしちゃったわ」
「……ごめん」
「別にあんたが謝る必要はないでしょ。あたしが全部話せって言ったんだし」
「いや、そうじゃなく……上手く説明できなかったから」
慎二は申し訳なさそうに言った。慎二が全てを語り終えるまでに四時間以上が経過していた。話すべきことが多かったというよりは、慎二の中で説明のついていない事を無理矢理言葉にしようとしたために話が纏まりを欠いたという方が正しく、そのせいで時間が倍以上に延びたのは確実だった。
「こんな話を上手く喋れる奴がいたらお目にかかりたいわね」
しかし冴枝は慎二を責める様子もなく続けた。
「とりあえず……現時点での客観的な意見を言わせてもらえば、あんたは脳味噌がイカレてる。それが結論になるわね」
「………………」
「でもそれはあくまで客観的に見て、の話よ。――あたしはこれでも、かなりあんたを信用してる。気は弱いけど、いざとなれば冷静沈着。頭も切れて、交渉も十八番。人を裏切ったりも絶対にしない――そんな桐嶋慎二が自分を見失うことがあるとすれば、それはもう普通じゃない」
冴枝はまるで自分自身に言い聞かせるように、呟くように話し続けた。
「すなわち、異常事態よ。あんたがした突拍子もない話と同じくらい、有り得ない。――逆に考えれば、あんたが実際に異常な事を口走っている以上、話の内容も事実である可能性がある……これが、あたし自身の偏見に溢れた結論」
慎二は黙って聞いていた。
「自分でもどうかしてると思うわ……でも」
冴枝は慎二を正面から、真剣な目で見つめて言った。
「あんたは、あたしを信用して、この馬鹿げた信じがたい話をしてくれた……なら、あたしにもそれに応える義務があると思う。あんたの親友として、ね」
「………ありがとう」
それは慎二の心の底からの言葉だった。
誰にも話すわけにはいかない――慎二はそう思っていた。そもそも信じてもらえるかすら疑問だったが、それ以上に親しい人達を危険に巻き込むことだけは避けたかったのだ。――だが冴枝には自然に話すことが出来た。それだけの頼もしさを、冴枝は持っていた。冴枝もそれを最後まで、あしらわずに聞いてくれた。そのことだけでも有り難かったが、冴枝は慎二を信用すると言ってくれたのだ。
「………ありがとう」
「礼を言われる程の事じゃないわよ――」
冴枝は少し照れたようにそう言ったが、突然何かに気がついたように眉間に皺を寄せた。
「ちょっと、待って……あんたの話だと、御牧美千瑠は桐嶋の家に居る。そうだったわね?」
「そうだけど……」
「桂先生があんたを――襲った時は、何て言ってた?」
「『御牧美千瑠はどこに居る』――」
「その前に桂先生と会ったのはいつ?」
「なんでそんな事――」
「確認なんだから、さっさと答えなさい」
冴枝の強い口調に、慎二はただならぬ気配を感じた。
「……四限の数学」
「その後は、襲われるまで会ってないのね?」
「うん……」
「そう……これは……もしかしたら、まずいことになるかもしれないわ……」
冴枝は手で口元を押えながら何事か思案している様子だった。
「……榊さん?」
「ちょっと待ってて」
「え――? ……ああ、うん」
冴枝は机の脇に置いてあった学生鞄から薄型の携帯電話を取り出した。
番号を素早くプッシュし、耳に当てる。
沈黙が降りた。受話器に耳を傾ける冴枝と、それを見守る慎二の押し殺した息遣いだけがひっそりとした部屋の空気を揺らす。受話器から流れる断続的な呼び出し音が慎二の耳にも微かに届いた。
数秒経って、コール音が止んだ。冴枝は電話の向こうの人物に話しかけた。
「もしもし……上ヶ崎高の榊です……はい、そうです」
相手の声が慎二にも微かに聞こえた。若い女性のようだったが、話の内容までは聞き取れなかった。
「はい……はい……。…………そうですか。わかりました。ありがとうございます」
冴枝は携帯をパンッと勢いよく折りたたんで慎二に返すと、
「行くわよ。……あたしの考えすぎならいいんだけど……」
と言って席を立った。「どこへ?」という慎二の問に対する答えは簡潔だった。
「あんたの家よ」