By the words of WIZARDS

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  •   第三章 紅い衝動  

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     昼休みになると、慎二は行動を開始した。
     誰よりも早く教室を出た慎二は、目的地へと向かう。
     階段を二段飛ばしで上がり、四階へと出る。
     文化部の聖域=\―この階の何処かに、慎二の目的地はあるはずだった。
     午前の授業中に慎二はある事を決心していた。
    (どう考えても情報不足だ――それならこっちから動くしかない)
     とは言え、慎二が調査をする方法は限られている。桂綾子は死んでしまった――あるいは失踪かもしれないが、いずれにせよ話を聞くことは出来ない。一番核心に近そうな人物は御牧美千瑠だったが、あれ程強力な武器を持った相手に正面からぶつかるのは、自分でも情けないと思うが、どうしても気が引けた。それに、話を中断して慎二を脅しに掛かったことからしても、あれ以上の事を美千瑠に語らせるのは困難だろう。
     彼女ら以外でこの事件に関わりがあり、かつ慎二が知っている――この条件に当てはまるものが一つだけあった。
     魔術部――そう銘打たれた奇妙な部屋。
     一度は慎二の前から姿を消してしまったあの通路を見つけ出す。そうすれば何かしらの手掛かりを得られるのではないか。
     あの時は御牧美千瑠が慎二を出迎えたが、今は慎二の家に隠れていて出られない。あの小さな扉の奥には誰も居ないはずだ。危険は恐らくないだろう。もちろん保証はなかったが、今はこれ以外に手がないのだ。何もしないで手を拱いているよりはるかにましだった。
     慎二は記憶を頼りに四階の通路を歩いた。
    (確か……この先の突き当たりに――)
    「…………………」
     しかし、通路は無かった。コンクリートの白い壁だけが慎二を見返していた。
    「――――くそっ」
     唯一の手掛かりもこれで潰えてしまった。
     放課後になれば、また慎二は美千瑠の待つ家に帰らなくてはならない。何の打つ手も無く。
    (あの子は……僕の味方なのか?)
     御牧美千瑠。
     昨日までは殆ど意識したこともなかった同級生だ。
     思えば昨日からの事件の発端は彼女だった。桂教諭が襲ってきたときにも、御牧美千瑠の名前が昇った。そして、殺されそうになった慎二を救い出したのも、やはり御牧美千瑠だった。
     助けてくれたのだから味方だろう――そう慎二は考えたが、それも安易だった。自宅にあがりこんだ美千瑠は慎二に得体の知れない力を見せつけ、協力することを強要してきたのだ。
    (あの後、彼女は僕に何かをしたのか――?)
     美千瑠の金色の眼を見たのは昨晩でが三度目だった。一度目は授業中、二度目は桂に襲われた時。だが、昨晩のそれはどちらとも違っていたような気が慎二にはしていた。
    (ぼうっとして、意識が遠くなって――先生の眼を見たときと似ていたような――)
     桂綾子の眼も常人のそれではなかった。
     美千瑠の眼は金だったが、桂のそれは血のように紅かった。その眼で覗き込まれた時、何かどろりとしたものが身体に流れ込んで来るような感覚をおぼえた。自分が全て上書きされていくような、とても気味の悪い感覚だった。美千瑠に助けられなければ、どうなっていたのだろう。
    「――――くぅ」
     その事を思い返したせいだろうか。薄れ掛けていた気分の悪さが戻ってきた。桂の襲撃以来、時折心臓を掴まれるような痛みと吐き気が慎二を悩ませていた。時間が経つにつれてそれもやや治まっていたのだが、今朝になってまたぶり返し始めたのだ。
     胸を押さえて廊下の白い壁に手をつく。
     かつては細い通路が口を開けていたはずの場所は、他の壁と全く同じに見える。
    「――かっ――は」
     暫くじっとしていれば退くと思っていた胸の痛みと嘔吐感が急激に強まった。
    (なんだ――!)
     あの時から絶え間なく、体内で何かが蠢いている様な、ひっそりと息を潜めている様な、そんなおぞましい妄想が、爆発的に慎二の意識を支配した。
     自分でない何かが意識の底から恐ろしい勢いで上がって来る。
     
      上がって来る
      上がって来る
      上がって来る
      上がって来る

     何かが。

     上がって来る
     あがって来る
     あがってクル
     アガッテ狂ウ―――塗リツブサレル―――

    「――やめなさい!」
     両脇に抵抗を感じて、慎二は我に返った。
    「何をしてるの! やめなさい、桐嶋!」
     聞き慣れた声が慎二を呼んでいた。
    「――榊、さん。……痛っ」
     両手に激痛が走る。見ると、慎二の手の甲は出血で真っ赤になっていた。そして目の前の壁にも慎二のものと思われる血液がべっとりと張り付いている。
    「やっと落ち着いてくれたわね」
     その言葉と共に慎二の身体は自由になった。どうやら背後から羽交い絞めにされていたらしい。振り向くと、生徒会長が毅然として立っていた。
    「このあたしに手間を取らせた以上、説明はしてもらうわよ」
     慎二はまだ混乱していたが、凡その事態は掴むことができた。
    (壁を――殴っていたのか?)
     状況からしてそう考える他はない。
    (でも、どうして)
     殴っていた記憶すらないのだから、理由などさらに不明だった。
     冴枝は憮然とした表情で慎二を睨んでいた。腕組みをして仁王立ちしている様は、二年生にして異例の生徒会長当選を成し遂げただけの貫禄を感じさせる。実際、上級生にすら冴枝を恐れる者は多いらしく、中学生時代には番長として名を馳せていた、などという噂がまことしやかに流れている。
    「あの……信じてもらえないとは思うんだけど……」
    「歯切れが悪いわね……早く言いなさい」
    「その……記憶がちょっと飛んじゃってるというか」
    「……来い」
     冴枝は答えを聞くやいなや、慎二の襟首を片手でしっかりと掴むと、有無を言わせず傍にある部屋の中に引きずり込んだ。
    「うわ――ちょっと、榊さん!」
    「あんたがそんな見え見えの嘘を吐くとは……見損なったわ」
     誰も居ない教室の机の前に慎二を座らせると、冴枝もその真向かいに座った。
    「やっぱり、信じてくれない?」
    「当たり前よ……と言いたいところだけど」
     と、冴枝はそこで言葉を切り、深く息を吸ってから吐いた。
    「……まあ、もうすこしだけ言い訳を聞いてあげることにするわ」
     冴枝はもう一度深く息を吐いた。
    「いちおう、生徒の不満を聞き届けるのも生徒会長の仕事だし」
    「そうだっけ?」
    「冗談よ。――お悩み相談なんてガラじゃないわ」
    「そうかな。意外と向いてたりするかもよ?」
    「んなわけないでしょ……それより、手、出しなさいよ」
    「え――あ、そうか」
     慎二は両手を机の上にかざした。既に出血は止まっていたが、見た目は酷かった。じくじくとした痛みで慎二は顔を歪めた。
    「こりゃ酷いわね……骨折はしてないみたいだけど」
     どこから取り出したのか、冴枝は消毒液を右手の傷口に吹きかけた。
    「―――! ……しみる」
    「これくらい我慢しなさいよ……ったく。あんたといい、大介の馬鹿といい、うちの生徒会は情けない男ばっかりね」
    「……僕は生徒会員じゃないけどね」
    「正式には、ってだけじゃない……それに、知ってるのよ」
    「何を?」
    「あんた、選挙の時に演説の代筆したでしょ」
    「………………知ってたんだ」
    「やっぱりそうだったのね」
    「………………」
     冴枝は意地悪そうに笑うと、今度は左手の消毒に移った。
     慎二は痛みに顔を顰めながら、口を尖らせて冴枝に言った。
    「――ずるいよ、榊さん」
    「上手いと言ってちょうだい……」
    「いつごろ気付いたの?」
    「最初からうすうすとは。あんな馬鹿が副会長に当選する時点でおかしいと思ってたわよ」
    「そっか……」
    「確信に変わったのは、あいつがあんたを連れて生徒会に来たときね。ああ、こいつが犯人か、ってピンときたわ」
    「……案外、怒ってないね」
     その瞬間、冴枝は慎二の手の甲に激しくガーゼを叩きつけた。
    「痛った……!」
    「怒ってるわよ。もしあたしが選挙であいつに負けてたら、あんたを文句無く海の底にコンクリ付きで沈めてるわ」
     冴枝はそう言うとガーゼの上から包帯を馴れた手つきで巻き始めた。
    「……まあ、ね。あいつが副会長に向いてないとは、思わないわよ。人の上に立つ人間にとって一番重要なものを、アイツは持ってるから」
     包帯がきゅっと音をたて、慎二の傷口が締めつけれる。僅かに痛みが走ったが、慎二は目を顰めながらも耐えた。
    「……大介がそれを聞いたら、きっと、」
    「核ミサイルが降って来るぜっ、とか言うんでしょう、ね!」
     冴枝はそう言うと、一際強く締め付けた。
    (っ……! よく……分かってらっしゃる……)
     冴枝は一瞬手を止めて、ほう、と溜息を吐く。慎二にはそれが何を意味するのか、わからなかった。
    「……とにかく。不正選挙の件を教師連中にバラされたくなかったら、今後もおとなしく生徒会を手伝いなさい……いいわね? あんたは貴重な人材なんだから、手放すわけにはいかないわよ」
    「痛い痛い……わかったから、そんなに強く締めないでよ……」
     包帯の端を結び終えると、冴枝は両手をはたいて言った。
    「――よし。これでとりあえず大丈夫でしょ」
    「ありがとう。……それにしても、準備がいいね」
    「救急箱があって助かったわ。保健室までは結構距離あるし」
    「すごいね、そこまで把握してるんだ」
    「……何言ってんの、あんた」
     冴枝が妙な顔で慎二を見た。
    「え……だって、部屋のどこに救急箱が置いてあるかなんて、普通すぐにはわからないだろ?」
    「あんた……今日は本格的にどうかしてるみたいね」
     冴枝は不機嫌そうな顔で立ち上がると、両手を広げて言った。
    「さて問題です……ここはどこでしょう?」
    「どこって……」
     慎二は部屋を見渡した。蛍光灯が点いていないが、窓からは白く光が差し込んでいる。会議がしやすいように常に円形に並べられた机と椅子。議題らしきものが大きく書かれている黒板。それら全てに慎二は見覚えがあった。
    「あ――」
    「やっと分かったかしら。……正解は、生徒会室よ。この部屋のどこに何があるか、あたしが知ってて当然でしょう」
    「……どうして気付かなかったんだろう」
     文化部の聖域=\―文科系の部室ばかりが並ぶこの本校舎四階で唯一、文化部の管轄ではないのがこの生徒会室だった。そのことは慎二もよく知っている。大介と一緒にここで会議に出たことも、この数ヶ月で何度かあった。
    「さっきあんたが暴れてるのに気付いたのだって、ここの壁が鳴ってうるさかったからなのよ」
    「………………」
    「やっぱり、事情を訊かなきゃダメみたいね……生徒会の優秀なお茶汲み係が自傷癖だなんて笑えないわ」
     席に着いた冴枝は今までになく厳しい表情で慎二に言った。
    「何があったのか話しなさい。洗いざらい、全部……さっきの事も含めてね」
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