By the words of WIZARDS

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  •   第二章 闇夜の告白  

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    「すごい処に住んでいるのね」
     言葉とは裏腹に表情の無い顔で、美千瑠は威圧的な鉄柵の先端を見上げていた。
    「お陰でずいぶん疲れたわ……」
     公園から自宅の敷地までは五分とかからなかった。だが馬鹿馬鹿しいまでにその面積は広く、おまけに入り口が一箇所だったため、正方形の辺に沿って更なる歩行を強いられたのだった。入り口に近づくにつれ辺りが閑散としていく様はどこか不気味であり、この先に目的地があると知らなければ美千瑠は間違いなく引き返しただろう。
     そして今、二人は頑丈な造りの鉄門の前に佇んでいる。その表面には十字や円等の図形が幾つか組み合わさった複雑な紋様が刻み込まれており、月明かりの中で、それは見る者に異様な印象を与えていた。
    「ぜひとも裏口を作ることをお勧めしたいわね」
    「歩かせて悪かったね……この設計は親の趣味なんだ。訪ねて来る人は皆、迷子になるって文句を言うよ」
     慎二はそう言って笑いながら、学生鞄からじゃらじゃらと音を立てて、金属製のリングに通された鍵束を取り出した。鍵は一本一本が鉛筆程の長さと太さを持っている。
    「……それも親御さんの趣味?」
    「まあね……変わってるだろ」
     どれも同じ様に見える鍵束から慎二は迷わず一本の鍵を選び出した。それを門の鍵穴に挿し込むと、慎二は手を止めた。
    「言っておくけど、一晩家を貸すだけだ。それ以上の協力は出来ない。朝になったら出て行ってもらう」
    「わかっているわ」
     返事を待って、慎二は鍵を回した。がちゃり、と最初の音が聞こえた直後、再び、がちゃり、がちゃり、がちゃり、と連続して扉の内部から音が響いた。
    「……………」
     美千瑠は何も言わずに音が止むのを待っていた。
     その後も暫く錠の外れる音が続いたが、十三回目を最後にぱったりと静かになった。
     慎二も無言のまま、完全に音が消えたことを確認するように聞き耳を立てていたが、やがてゆっくりと右手を上げて掌で軽く扉に触れた。
     何も起こらない。
     美千瑠が不審に思って慎二を見た次の瞬間、重厚な鉄扉が軋みを上げた。それはゆっくりと奥へ開き、時間をかけて、敷地の全貌を晒した。

     慎二の二倍、美千瑠の三倍は高さがありそうな門を潜り抜けて、二人は敷地の中央にある邸宅――ただ家と呼ぶよりもその方が適していた――へと向かっていた。
     敷地内へと足を踏み入れた美千瑠が最初に目にしたのは、膝の辺りまで伸びに伸びた雑草が一面に広がっている光景だった。
     門から邸宅までの草は辛うじて人ひとりが通れる程度の幅で刈り取られて道が出来ていたが、その荒れ具合は尋常ではなく、何年もの間一度も手入れが為されていないのは明らかだった。
    「…………」
    「はは……悪いね、ほんとにごめん。ここ最近、人を招待したことがなかったから……」
     率先して雑草を踏みしめ道幅を広げながら、慎二は謝罪と言い訳を繰り返していた。
    「自分は慣れっこになってたんだけどね……」
    「それはいいけど、足は止めないでね」
    「え。あ、ごめん」
    「……もしかして、あなた、ここに一人で暮らしているの?」
     ふと気になって美千瑠は訊いた。
    「うん……」
    「ご両親は?」
     慎二は背の高い草を両側に折り倒しながら、
    「旅行に行ってる。九年前から」
     と軽く答えた。
    「九年前……?」
    「三日で帰って来るって、書置きにはあったんだけど」
    「…………」
    「所謂、行方不明ってやつだろうね」
    「そう……」
    「あの時僕は小学校三年生だった」
     慎二は独り言のように話し出した。
    「夏休みが始まったばかりの頃だったかな。三人でキャンプに出発する日の朝、楽しみで仕方ないのを我慢して早く寝たおかげで、僕は出発の三時間前に起きられたんだ。両親を叩き起こしてやろうと思って隣の寝室に行ったら、二人はもう居なかった。灯りの点いた電気スタンドの脇に書置きがあって、急用が出来たから三日ほど旅行に行く、キャンプはまた来週にしよう、と書いてあった」
     美千瑠は黙って聞いていた。少しずつ進路を確保しながら、慎二は語り続けた。
    「僕は両親が大好きだったし、とても信用していた。突然広い家に一人きりになっても、置き去りにされたという不安はなかった。三日が過ぎたら冷蔵庫に用意してあった食事が尽きてしまったけど、父の引き出しに非常用のお金が入っている事を知っていたから、それから一ヶ月はなんとかやっていけたよ。初めて一人でレストランに行って外食したり、両親が居なくなってからちょうど一週間後の日曜には、スーパーで慣れない買い物をして、キャンプの代わりに家の台所で自炊に挑戦してみたりもした。両親はきっと用事が長引いているに違いない。帰ってくるまで自力で生活して驚かせてやろう。そんな風に考えて、毎日毎日を過ごした。けど、いつまで経っても両親からは何の連絡も無かった。
     とうとう引き出しのお金も使い果たした時、二人が僕の生活のために残してくれたものが無くなった時、両親はもう帰って来ないことを悟った。本当に一人になってしまった。そう思った途端、両親が居なくなってから初めて僕は泣いた。その時のことは今でも夢に見る」
    「……それから、あなたはどうしたの」
    「僕は両親と過ごしたこの家を離れたくなかったんだけど、小学生が一人暮らしをするには広すぎたね。掃除ひとつにしても、一日一時間やって、全部回るのに一週間かかるんだ……自分でもとても無理だと思ったから、電話帳を頼りに親戚と連絡を取ったんだ。それからは中学を卒業するまで、父の姉にあたる叔母が引き取って面倒をみてくれた」
    「でも、またこの家に戻ってきたのね……やっぱり、懐かしかった?」
    「それもあるけど、これ以上叔母に迷惑をかけられないと思ったのが大きいかな。叔母夫婦にも子供が居たしね……よしっ」
     そう言うと、慎二は一際強く草の根を踏みしめた。美千瑠が気付かぬ内に、もう扉の目の前まで来ていたのだった。コンクリートの土台の上に三十メートル程の幅をもって建てられた邸宅はやはり羨望を覚えるほど大きかったが、しかし表の鉄柵や鉄扉から連想されるような威圧感は伴っていなかった。
    「はは、自分の家なのに変に手間取った」そう言う信二の声はどこか楽しげだった。「おかげで長々と愚痴を聞かせてしまった」
    「私でよければ、いつでも相手になるわ」
    「それはどうも……大介にも、冴枝にも、こんな話をしたことはないんだ……いや、大介は小さいときから知り合いだし、事情は知っているかもしれないけど……ほとんど初対面だからかな……それとも君が聞き上手なのか……それにしても、今日はよく喋る日だ……」
    (そういえば)
     三十分前には自分に拳銃を突きつけていた少女に対する警戒心が薄くなっていることを慎二は自覚した。
    (おかしなこと続きで、僕もついに焼きが回ったかな)
     慎二は靴に付いた土汚れを軽く払うと、扉の取っ手を握ったまま美千瑠がやって来るのを待った。
    「どうしたの?」
    「久々のお客さんだし、折角だから、ね」
     慎二は嬉しそうにそう言って、
    「では」
     美千瑠も何となくそんな気分になった。背筋を伸ばし、手を背中で合わせて、落ち着いた造りの木製の扉の前に礼儀正しく立つ。
    「ようこそ、桐嶋家へ」
     歓迎の言葉と共に、慎二は扉を開いた。蝶番が僅かに軋みを上げる。
     邸内には意外にも既に灯りが点っていた。家の外に電源スイッチがあったのだろうか。
     美千瑠が慎二に訊くと、
    「ああ……入り口の電気はいつもつけたままなんだ。もったいないのは分かってるんだけど」
    「どうして?」
    「ここの電灯は電源を入れても明るくなるまでに暫く掛かるんだ。初めのうちは階段も昇れないくらいだよ。それに、……やっぱり寂しいからね」
     慎二が美千瑠を中へと促し、美千瑠は従った。
    「へえ、結構綺麗にしているのね」
     扉の内側は広いエントランスホールになっていた。流石に赤絨毯はひかれていなかったが、橙色の光を反射する大理石の床には塵一つなく、ホールの中心から上へと伸びる階段の手摺りも古い木材に独特の艶やかさを滲ませ、掃除がよく行き届いていることを感じさせた。
    「これだけの広さを、あなた一人で?」
    「うん。と言っても、普段は自分が使っている範囲だけだよ。自分の寝室と台所、浴室、一階、二階の廊下と階段、それと、このホール。他は年末にしか掃除しないな……それだって、隅々まで全部出来るわけじゃない」
    「でもそれだと、埃が溜まって大変じゃない。家具も傷むわ」
    「だから、余分な家具は売って、使わない部屋は空にしてあるんだ」
    「ふうん、なるほど」
    「七年近く放っておいたから、幾つか駄目になってたけど―――あ」
     扉に内側から鍵をかけていた慎二は美千瑠を振り返ると、
    「しまった。君の寝る場所を考えてなかった」
     と言って苦笑いした。だが美千瑠は、
    「どこでもかまわないわ」
     と事も無げに答えた。
    「いや、―――でも」
    「そもそも警察にさえ見つからなければ、野宿だって覚悟してたんだもの。屋根があるだけまだましだと思わなきゃ」
     警察、という単語から、慎二は桂綾子を、いや正確にはその死体を連想した。努めて忘れようとしていた嫌なイメージが蘇る。慌てて頭を振って慎二は話題を変えた。
    「お客さんをソファで寝かせるわけにはいかないよ。二階の僕の部屋を使ってくれ」
    「あら、紳士的なのね。至れり尽くせりって感じかしら」
    「あはは、そうかもね」
    「……そういう時は謙遜するものでしょ、普通は」
    「……厳しいね……」
    「ちょっと、本気でへこまないでよ」
    「僕はわりと傷つきやすいんだよ……」
    「自分で言ってれば世話無いわね」
    「放っといてくれ……」
    「まあ、そんな事はどうでもいいわ」
     美千瑠は慎二の泣き言をばっさりと切り捨てると、
    「先に用事を済ませましょう」
     そう言って一人でさっさと階段を昇り始めた。
    (用事……?)
     疑問に思いながらも、慎二は彼女の後について二階へ上がった。
    「部屋はどっちかしら」
    「ここ」
     慎二は階段を上がってすぐ目の前の扉を示した。慎二の自室兼寝室だった。
    「入るわよ」
     慎二が答える間もなく美千瑠は部屋に入ると、ソファにどかっと腰を下ろして慎二を見た。その瞳はやはり黒のままだった。慎二は後ろ手でドアを閉めながら美千瑠に訊いた。
    「用事って、一体何」
    「その前に」
     美千瑠は慎二の言葉を掌で制して言った。
    「説明しておかなくちゃいけないことがある。あなたとの約束でもある訳だし」
     少女のもったいぶった様子は妙だったが、今朝からの奇妙な出来事の明確な説明を求めていた慎二はその言葉の続きを聞きたかった。
    「全て答えてくれるのかい。僕の疑問の、全てに」
     美千瑠は少し考えるような間をもって言った。
    「……ええ。ただし、まず話すのは私からよ。質問はそのあと」
    「分かった」
    「ところで……」
    「うん?」
    「お茶は出ないのかしら……」
    「……は?」
    「聞こえなかったの? お茶よ」
    「……麦茶なら、そこの冷蔵庫にあるけど」
    「紅茶に決まっているじゃない」
    「……僕はあまり紅茶を飲まないんだけど……」
    「ドアーズがいいわ。なければアッサムでもいいけれど」
    「……えっと」
    「もちろんミルクティでね?」
    (知らないよ……それに人の話を聞いてない……)
    「どうしたの?」
    「……あの、紅茶の淹れ方とかって、よく知らないんですが」
    「ああ……それなら」
     美千瑠はブレザーの内ポケットから薄い紙束を取り出して慎二に渡した。
    「ここに書いてあるから。きちんとこの通りにお願い」
    (なんで、そんなの持ってるんだ……?)
     有無を言わせぬ調子の少女の言葉に、慎二は心の中で嘆息した。考えてみれば、自分はこの少女に逆らえる立場にない。美千瑠のブレザーのごつごつした不自然な膨らみを目の端に捉えながら慎二は答えた。
    「…………わかったよ。少し待っててくれ」
    「ありがと」
     慎二は部屋を出て階段を降り一階のホールに戻ると、階段の左にあるドアを開けて食堂に入った。慎二と両親の三人が使うには些か大きすぎるテーブルが据えられており、それを取り囲むように椅子が並んでいる。来客用に作られた食堂だったが、両親が居なくなって以来一度も使われたことはない。慎二はテーブルの横を通り抜けて奥へと向かった。慎二は主にこの食堂のキッチンを使っていた。調理が出来る場所は他にもあったが、特売などで買い込んだ食材を一度に保存するにはここにある保存庫が適していたのである。
    (それにしても)
     流し場の脇にある棚を開けて中を探りながら慎二は思った。
    (あの子は何を考えているんだろう。僕に協力してほしい、だなんて……第一、どうして拳銃なんか、女の子が持ってるんだ。それも、あんな大きな……日本で手に入るんだろうか。それに―――)
     彼女は間違いなく殺人者なのだった。慎二を助けるためだったと彼女は言っていたが、それでも、あんなもので人の頭を打ち抜いた以上、言い逃れなど出来ないだろう。
    (ほんとうに、警察に通報しなくていいのかな――お、あった)
     来客用に買っておいた茶葉の缶を慎二は取り出した。半年前に買ったものだったが、真空パックされているので香りも長く持つはずだ。棚の中の冷気のせいか、缶はひんやりとした感触を慎二の掌に伝えて来る。
    (まあ――家にあげちゃったんだし、今更だよな。……とりあえず話を聞いたら、明日には出て行ってもらうしかないな。通報はしないでおこう……一応、助けてもらったみたいだし、ばれたら何をされるか分からないし)
     缶蓋を指に力を入れて開けると、濃厚な紅茶の香りが僅かに広がった。缶の中には更に一回分毎に袋詰めされた茶葉が入っている。慎二は袋を一つ摘まみ出すと、蓋をした缶を再び棚の奥へとしまった。
    (えっと……ここからどうすれば……)
     美千瑠に渡された紙束を取り出して目を落とすと、そこには次のような事が書かれていた。

     ――〜おいしい紅茶の淹れ方講座 まえがき〜

      紅茶をおいしく飲みたいという思いは、紅茶好きならもちろん、そうでもない人でも一度は抱くことでしょう。このレポートは、そんな貴方のために、わたくし御牧美千瑠が自身の経験の粋を集めて纏め上げてた紅茶の淹れ方の方法論です。これを読んで実践すれば貴方も紅茶通の仲間入り、いや熟練のプロにだってなれるでしょう――

    「………………」
     慎二は無表情のまま、頁を捲った。

     ――Part1 〜基礎知識編〜

      美味しい紅茶を淹れるためには、まず紅茶のなんたるかを知らなくてはいけません。そもそも紅茶とはお茶っ葉を乾燥の上、完全に発酵させてできた茶葉のことです。紅茶、という言葉が示すとおり、その茶葉にお湯を注いで抽出したお茶の色は紅い色をしています。紅茶は英語ではその色からblack teaなどと呼ばれますが、そもそもteaの語源は――

    「………………」
     その頁を最後まで読まずに慎二は更に数枚捲った。

     ――Part5 〜実戦編〜

      さて、まだまだ言い足りないことはあるのですが、そろそろ実際に紅茶を淹れてみましょう。まずは水です。水道水なんか当然ご法度です。まずは新鮮なミネラルウォーター(ダージリンなら軟水、アッサムなどなら硬水)を準備しましょう。それからこちらも重要ですが、茶葉はセイロンかインド産のものを使い――

     慎二はそこまで読むと、凝りに凝った紅茶の淹れ方が紙面いっぱいに細かい字でびっしりと印刷された説明書を丸めなおして制服のポケットに突っ込んだ。
    「……はあ」
     諦めとも呆れともつかない溜息を吐きながら慎二はコンロのスイッチを捻り、蛇口から水を入れたやかんを青く揺らめく火の上に置いた。
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