By the words of WIZARDS

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  •   第一章 紅の邂逅  

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     慎二の自宅は麓の十字路を南へ真っ直ぐ行った先にあった。
     一緒に歩いていた大介も、今日はアルバイトがあるらしく途中で別れることになった。慎二の家はかなり遠く、更に一時間ほどの道のりを、慎二は一人で歩かなくてはならない。
     一年前に勘当されて以来、大介は彼を心配する母親からの仕送りも断って生活している。
     その事を大介の口から聞いた時は、見かけと言動に似合わず殊勝な男だと慎二は思ったが、冴枝の情報によれば、どうやらアルバイト先の上司の女性と同棲して生活費も賄ってもらっているというのが真実らしかった。
     慎二からすれば、大介らしい、の一言で片付けられる程度の事だったのだが、真面目な生徒会長である冴枝にとっては許し難い事実だったのだろう。慎二にそれを語っている時の彼女の憤慨ぶりは凄まじいものだった。
     ―――唐沢は不幸な死に方をするわ。ええ、百パーセント絶対間違いなく。さもなくばあたしがこの手であいつの堕落した人生に終止符を打ってやる。
     生徒会室でひたすら八つ当たりされるのは流石の慎二も参ってしまった。
     ―――あんなのが副会長だなんて、全く信じられない。生徒会の名折れだわ………あいつが消えた暁には、すぐにでもあんたに席を用意するわよ、桐嶋。
     真剣そのものの口振りで冴枝は罵詈雑言を吐いていたが、その直後、いきなり生徒会室の扉を開けて大介が入って来た時の冴枝の慌てぶりは見物だった。真っ赤な顔でしなくてもいい言い訳を並べ立てる冴枝を、状況の分からない大介が唖然とした表情で見つめていたのを今でもはっきりと覚えている。
    (分かりやすいよなあ)
     思い出し笑いを堪えながら慎二は交差点の信号で立ち止まる。
     実を言うと慎二は正式な生徒会の人間ではない。後輩の悪戯で立候補させられ冗談のように副会長に選出されてしまった大介に拝み倒されて仕事を手伝う内に、いつの間にか準生徒会員として認知されてしまったのである。
    (冗談で副会長になる大介もすごいけど)
     心中で慎二は苦笑する。見た目、言動共に不良にしか見えない大介だったが、立候補演説で述べた生徒会改革案の内容が生徒や教師陣に非常に受けが良く、不真面目な外見も革命児の風貌として好意的に解釈されたのが効を奏した。結果、会長の座は対抗馬だった冴枝に奪われたものの、繰り下がりで副会長に選ばれたのである。
     大介の後輩の依頼で演説の内容を考えたのが慎二であるという事実は、墓場まで持って行かなくてはならないのだろう。
     そんな事を考えつつ、赤が点灯した信号機を見つめて慎二はぼんやりと佇んでいた。
    「…………」
     学校からかなり離れた所まで来ていた。この辺りは人通りも交通量も少なく、慎二の見える範囲に人の姿は無い。信号を待つ間に車が一台だけ交差点を横切ったが、それすらもとうに大通りの向こうに消えてしまった。
     陽は既に暮れかかり、西日が慎二の影を黒く長く伸ばしている。
     茜色に染まった世界の中、慎二は今日初めて言葉を交わした少女のことを思い出した。
    「………御牧美千瑠、か」
    「彼女がどうかしたかね、桐嶋慎二」
     前触れも無く慎二の背後から声が聞こえた。
     反射的に振り返ると、短い髪を陽に光らせた女が腕を組んで、慎二から数歩離れた場所に立っていた。
    「桂……先生」
     慎二は上ずりながらも辛うじて言葉を搾り出した。
     よりによって、自分を目の仇にしている教師と帰り道で出くわしてしまうとは。間違い無く厄日だった。
    「御牧がどうしたね、桐嶋」
     そう言って桂は慎二に近づいてきた。慎二は思わず一歩後ずさる。
    「ふん。随分と警戒されたものだな」
     桂はあっという間に慎二の目の前までやって来て立ち止まった。
    「もう一度だけ訊くから返答しろ。御牧美千瑠がどうした」
    「………別に、何でもありません」
    「本当だな?」
    「……はい。」
     なんだ? ……何故この教師はこんなことを訊く?
    「先生こそ……僕にそんなことを訊くために、ここに来たんですか?」
     桂は可笑しそうに口元を吊り上げた。
    「当然の疑問だな。だが答えている暇はないんだ。すまないが」
     その瞬間、桂の腕が素早く動いた。気づいた時には、慎二は頭部を左右から鷲掴みにされていた。
     桂は僅か数センチの距離まで顔を寄せて慎二の目を覗き込んむ。
    「な――」
    「少し大人しくしていろ。すぐに済む」
     桂の顔が慎二の顔に接近する。
     二人を横から照らす太陽の光が、桂のすらりとした頬の輪郭を浮かび上がらせる。顔の片側は、影に隠れて見えない。
     あと僅か――数センチで唇が触れ合う距離にまで迫った時、慎二はそれを見た。
     慎二の視界に映った桂の目は笑っていなかった。嗤っていた。夕日を反射したその目は紅に光っているように見えた。奇妙なことに、真っ黒な影に塗りつぶされたシルエットの中の眼も――紅の光を帯びている。
     それはまるで、太陽の光を反射しているのではなく――眼球の内側から自ら発光しているかのようで――
    「――ぁ」
     慎二の視界が赤く染まった。
     得体の知れない赤褐色の流体が眼窩から首筋、肩、腕、腹部、腰、大腿、脛、踝、両手足へと流れ込み脳髄を掻き回し意識を攪拌し何かが記憶の底から引き摺り出される感覚。
     抗い様も無く意志の総てを掌握される恐怖。
     意のままに操られる人形と化す確信。
     何もかもが綯い交ぜになり意識が完全にブラックアウトするその刹那、慎二の脳裏の暗闇の中、それが忽然と蘇った。

     金色の瞳が。

     ガァン!
     乾いた大きな音が聞こえた気がした次の瞬間、慎二の視界が回復した。
     未だ赤褐色の何かが体中を駆け巡っているのを感じる。慎二は頭を振り、顔の前で右手を握り込んで開いた。少なくとも手足を自由に動かすくらいは出来そうだった。
    「――――――」
     慎二は素早く周囲を見渡したが、桂綾子の姿が見当たらない。
    「どこへ行ったんだ………?」
     慎二は呟いたが、答える者はなかった。
    「………何なんだ。また白昼夢なのか……?」
     慎二は言い知れぬ寒気を覚えた。校舎の四階の不可解な部室、消えてしまった通路、そして桂教諭の意味不明な言動。
     ひょっとすると、本当に自分は狂ってしまったのかもしれない。
     知らぬ間に信号は青に変わっていた。早くも点滅を始めている。
    「帰ろう。………きっと、疲れているだけだ」
     そう自分に言い聞かせて横断歩道を渡ろうとした時、慎二の足に何か重い感触が伝わった。慎二は思わず下を向いた。
     桂綾子はそこに居た。いや、あった。
     肩から上を失った桂の体が、慎二の足元に転がっていた。
    「う、うわああ!」
     驚愕の余り、慎二はその場にへたり込んだ。桂の身体からは止め処も無く血液が流れ出て、円形の跡が広がっていく。
    「危なかった。ぎりぎりだったわね」
     突然横から声が聞こえた。
     呆然と、慎二は声の主を見上げた。
     すぐ近くに細い腕があった。その手には黒光りする物体―――先端から白煙を上げる巨大な拳銃がぶら下がっている。
     西日の逆光に目を細めながらも、慎二は黒いシルエットの人物が誰なのかを知ることが出来た。顔が影に塗りつぶされていても、黒いシルエットの中でも煌くそれは見間違いようがなかった。慎二はその日、その一対の怪しげな光を片時も忘れることが出来ずにいたのだから。
     桂綾子を殺害した凶悪な武器を無造作にスカートのポケットに押し込むと、御牧美千瑠は慎二に手を差し伸べた。微風に靡く美しい黒灰色の髪の間から慎二の顔を覗き込んだのは、禍々しくも目映い金色の双眸だった。
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