By the words of WIZARDS

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  •   第一章 紅の邂逅  

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     慎二達が食事を終えた頃には、教室は既に閑散としていた。金曜日は午前中で授業が終わるため、午後から部活動の無い生徒や昼食を持参しなかった者は昼休みが始まるとすぐに下校してしまう。用事がある生徒も、殆どは部室や委員会室等の目的の場所に移動してから食事を取るため、わざわざ教室に居残る者は慎二や大介を含めても少数派なのだった。
    「まあとにかくだ。俺が思うに、お前が桂に目をつけられたのはまず間違いないと思う。しばらくの間は自重しておいたほうが身のためだぜ。これは友人としての忠告だ」
     空になった弁当箱を包みながら、大介が深刻な声で言った。
    「分かったよ。分かったから、とりあえずこの話は止めにしよう」
    「お? いつもは俺の忠告なんか『くだらん』の一言で切って捨てるお前がめずらしく素直じゃないか」
     本気で不思議そうな表情で(こういうとき彼の顔はひどく阿呆らしく見える)大介は言ったが、慎二としては他に気に掛かることがあった。
    「……ねえ大介。御牧って子のこと、何か知ってる?」
    「ああ? 何だそりゃ」
    「いいから。何か知ってるなら教えてよ」
    「随分、漠然とした質問だな……御牧だって? お前のクラスの?」
    「うん。御牧美千瑠。ちょっと気になることがあってさ」
     大介は一瞬困ったように眉を顰め、何事か思案している様子だったが、しばらくして言った。
    「うん。何て言うか、知ってはいる。知ってはいるが、お前に言ってもいいのかどうかがわからない」
     なんだそれは。
     大介は、どうかこれ以上は聞かないでおいてくれ、とでも言いたげな表情で慎二を見ていた。
     大介の判然としない返事に、慎二は何故か苛立った。
    「なら、いいよ」
     慎二はぶっきらぼうに言うと、畳んだ紙パックやパンの包みをビニール袋に入れて口を縛った。ゴミを捨てるために、教室のドアから廊下に出る。大介も慌ててついて来た。
    「おい、待てよ。今日は妙に機嫌が悪いなお前……」
    「別に……」
     慎二は大介よりも先を歩いた。トイレの前の「可燃」と表示されたゴミバケツにビニールを放り込み、右手の階段を昇る。慎二達の教室があった人気のない二階から四階へ上がると、雰囲気は一変した。廊下では数多くの生徒が立ち話に花を咲かせ、ドアの開いた教室からは熱心に何事かに打ち込む学生服の姿が覗いている。
     西高等学校では校舎の一階、二階、三階をそれぞれ一年、二年、三年の教室に充て、この四階の教室全てを文化部の部室として解放している。校舎の東側に面したグラウンドの奥には三階建ての部室棟が建っているが、旧来からの習慣で全室が運動部によって占拠され長い間文化部の活動拠点が定まらずにいた。それに憤慨した数代前の生徒会長が教師陣に掛け合った結果、獲得したのがこの四階フロアであり、現在では「文化部の聖域」などと呼ばれている。
    学内の全ての文化部が一同に会しているためか部活間の交流も盛んであり、えてして文化部が与えがちな暗い印象とは無縁であった。
     南に大きく開いた窓から差し込む光に照らされた廊下を慎二は立ち止まることなく歩いた。生徒達の楽しげな談笑が近づいては過ぎ去った。大介も付いて来ているのだろうか。
     今の慎二には、どうでもよいことのような気がしていた。
    (僕は……どこへ向かっているんだろう)
     文芸部、美術部、映像研究会……近接して並ぶ部室をいくつか通り過ぎた所で、慎二は突き当たりを右に折れた。
     急に照明が弱くなっているため目立たなかったが、そこにはやっと一人が通れる程度の細い通路があった。
     十メートル程進んだところで、慎二は立ち止まり、顔を上げた。
    (そっか……ここだ)
     奇妙に小さなドアだった。
     金属性の、学校の一室にはどう見ても不釣合いに重厚な造りをしたドアだ。
     表面を僅かに錆び尽かさせながらも後方の廊下から差し込む僅かな光を鈍く反射している。
     だがその扉は、何故か慎二の腰の辺りまでの高さしかなかった。取手に到っては膝に届くか届かないか、という有様だ。
     ドアの上の薄汚れた壁から、細長い板の様な物が無造作に突き出しているのが目に付いた。慎二は狭い通路の壁に挟まれながら、苦労して横からその板を覗き込んだ。

    「魔術部」

     白いプラスチック製のプレートに、極端に丸まった小さな文字で、そう書かれていた。薄暗さも手伝ってか、読み取るのに少し骨が折れた。
     その時、低い位置から金属が軋む音が聞こえた。ぼんやりと慎二が顔を下に向けると、金属製のドアが開いていた。そして。
    「あ……いらっしゃいませ……。桐嶋くん……」
     御牧美千瑠が、小さなドアの隙間から白く小さい顔を覗かせていた。



     招かれるままに背を屈めて小さなドアを潜ると、小ぢんまりとした部屋の内部が見えた。
     ひどく殺風景な部屋だった。ドアの老朽化した様子からは想像もつかない程に部屋は新しいものだった。白い壁には汚れ一つ無く、フローリングの床に塗られたワックスは蛍光灯の明かりを鋭く反射していた。清潔にしているというよりも、まだほとんど使用されていない印象を受けた。
     部屋には茶卓が置かれ、向かって右の壁には小さな食器棚があり、その脇にはコーヒーメーカーが置かれていた。近くには水道場もある。美千瑠は手早く二人分のコーヒーを淹れると、慎二に座るように促した。
     慎二は目の前に出されたコーヒーカップを手に取ると、慎重に一口啜った。美味い、と思った。
     美千瑠は自分も両手でカップを支え持ちながら慎二の飲む様子を眺めていたが、突然感心したように、
    「すごいですね、コーヒー、黒いまま飲めるんですか?」
     と言った。
    「え……うん。ブラックのほうが、好きなんです」
     意図せずに敬語で答えてしまっている事に気づく。慎二は自分が緊張していることを自覚した。
    (いや、緊張、というより……頭がはっきりしない……)
     昼休み前の、四時限目の数学。何故、慎二はあんな夢を見たのだろう。
     面識だけで特に親しくもなかった美千瑠に見つめられる夢。
     金色の瞳。
     今慎二の目の前で、コーヒーカップに白い陶器からミルクを注いでいる彼女の瞳の色は、紛れもなく、何の変哲もない黒だった。
     気にする程のことでもない、と慎二は思おうとした。所詮、夢というのは脈絡の無い事柄を繋ぎ合わせただけの荒唐無稽なイメージに過ぎないはずだ。これまでにも似たような夢を見たことはある。そんなものに一々振り回されるのは愚かだとしか言いようが無い。
     しかし、あの金色の瞳だけが。それだけが意識にこびり付いたように、昼休みの間中ひっきりなしに、慎二の脳裏に蘇った。
     いや、本当に金色だっただろうか?
     夢はモノクロだったかもしれない。惹き込まれるような……。何故御牧美千瑠でなくてはならなかっただろう?
     それに、授業の最後に彼女が見せた笑顔―――そんなことが慎二の前頭野をぐるぐるとかき廻していた。
    「あの……桐嶋くん?」
    「――え?」
     御牧美千瑠が、慎二の顔を心配そうに覗きこんでいた。小さな茶卓から身を乗り出した彼女の顔は、驚くほど近くにあった。慎二は鼓動が大きく打つのを感じた。
    「どうされたんですか? 顔色が悪いみたいですけど……」
    「いえ……いや……大丈夫。心配させてごめん」
     慎二は努めて普段の口調で答えた。僅かに自分の空間が広がる感覚を覚え、徐々に平静を取り戻す。
     しかし、意識の一部に靄がかかる感覚は続いていた。
    「あ、あの、気になさらないで下さい……」御牧美千瑠は恐縮したように答えた。「でも、もしもご気分が悪ければ、横になるところもありますし、いつでも言ってくださいね」
    「うん……ありがとう、御牧さん」
    「い、いえ……」
     御牧美千瑠は何故か慌てたようにカップを両手で持ち上げて、もはやほとんど真っ白になってしまったのコーヒーの表面に目線を落とした。明らかにミルクが入りすぎたコーヒーを、彼女はカップを傾けてちびりと飲んだ。
     気まずい沈黙が流れた。考えてみれば、言葉を交わすのは殆ど初めてと言っていい彼らには、共通の話題などあるはずが無いのだった。だが幸いにも、慎二は彼女に聞いてみたい事があった。躊躇いながら、慎二はゆっくりと口を開いた。
    「……一つ聞いてもいいかな?」
    「は、はいっ」
     急に居住まいを正そうとして手元が揺れたのか、美千瑠のカップからミルクコーヒーが零れ、茶卓の上に落ちた。
    「あ……」
     カップを持ったまま呆然とそれを見つめて、動こうとしない。慎二は近くに掛けてあった布巾を取ると、手早く茶卓を拭きながら言った。
    「ごめん、突然話しかけた僕が悪かった」
    「す、すみません……あ! それ私が……」
    「いいって」
     布巾を受け取ろうとする美千瑠を優しく制して、コーヒーを拭き取り終えると、慎二は蛇口の水で布巾を軽く洗い、絞ってから干しておいた。振り返ってみると美千瑠がしょげていた。
    「ごめんなさい……私、つい慌ててしまって……」
     慎二は再び美千瑠と向かい合って茶卓の前に座りながら、(僕は今、恐ろしく馬鹿馬鹿しいことをしているんじゃないのか?)と思った。見たところ、御牧美千瑠は気を使うけれどもどこか抜けている、要するに人畜無害な少女だ。
     そんな女子に授業中睨みつけられたぐらいで、僕はいったい何をしている?
     わざわざ相手の所に乗り込んでまで詰問するようなことなのか?
     そもそも、あれはお前が見たただの夢であって、この子にはなんの関係もないのだ。
     ああ、今日は調子が狂う。これ以上長居しても御牧に迷惑をかけるばかりだ。ああ、一体僕は何がしたかったんだ?
     慎二はカップの残りを一息に飲み干した。すると気持ちが少しは落ち着いたのか、さっきの質問の続きを聞く気も無くなっていた。慎二は床から立ち上がった。
    「ごめん、御牧さん。僕、もう帰るね」
     返事も聞かずに、慎二は小さなドアを開けて外に出た。


     細さのために通るのがやっとの通路を進んで四階の廊下に出る。直後、廊下の向こう側から慎二の方に誰かが駆けてくるのが見えた。
     大介だった。
     慎二の前までやってくると、大介は苦しそうに肩で息をして呼吸を整えながら言った。
    「お前……慎二……いったいどこに行ってたんだよ……」
     慎二は今出てきたばかりの通路を後ろ手で示した。大介は変な顔をした。
    「冗談言ってる場合じゃねえんだよ……大変なんだ……とにかく来てくれ」
     大介はそう言って慎二の腕を掴むと、有無を言わさず走り出した。慎二は大介に続きながら、なんとなく御牧のいた部屋に繋がる通路を振り返ったが、すぐに目を逸らした。
     ―――通路は忽然と姿を消していた。
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